勝田吉太郎「自由社会の病理」(1979年)から 現在の尖閣列島や拉致問題を預言していた文章

勝田吉太郎「自由社会の病理」(1979年)から
前半の「心理戦」は中国の現在の姿勢、後半のダッカ・ハイジャックについての考察は北朝鮮拉致問題に置き換えて読んでくださるとありがたいです。勝田氏はアナーキズムやロシア思想史の研究を通じ、共産主義の恐ろしさと平和主義の欺瞞性をこの日本で60年代から説き続けた展開した重要な思想家です。勝田氏の本も今入手しにくいのでこれからまた紹介していきます(三浦)

(1)共産圏の心理戦に目覚めよ

戦後30年以上今日に至るまで実際に生起しているのは、「戦争でもなければ平和でもない」という状況ではないか。私が言いたいのは、心理戦というものが我々の周囲に火花を散らして行われている、ということである。ことに共産国家は、この心理作戦の名うての名手である。

戦争を用いて他国に自分の意志を押し付けるのは下策である。そういう物理的暴力を持ち椅子に相手の抵抗する意志力を切り崩し、あるいは精神的に武装解除させる仕方で自己の意志を漸次に押し付けるのが上策というものであろう。従来ソ連は、パブロフの条件反射理論を活用し、一は平和の祝福、他は核戦争のもたらす世界破滅の恐怖という二つのベルを交互に打ち鳴らすことで西側の人民の意志を飼いならし、その「反戦への誓い」を強化してきた。これがいうところの「平和攻勢」の実態であり、そう考えるなら、戦後我々が享受してきた「平和」とは、クラウゼヴィッツ風に言うと、「ほかの手段を持ってする戦争の継続」に他ならない。

この数年、ソ連は音色の違う第3のベルを鳴らすようになった。つまり圧倒的に強大な軍事力をちらつかせ、相手国の抵抗しようとする意志力を萎えさせようとしている(中略)

(これに対し、中国が中ソ対立下の現状、日本を味方に引き入れようとしていることに触れたうえで:三浦注)中国も、こういう日本を、指をくわえて傍観しているのではない(中略)我々に心理作戦を挑んでいる。例えば「偶発事件」ということでうやむやのうちに片づけられた尖閣列島領海侵犯事件がこれだ。(中略)私はこういう風に中国側の底意を受け取っている(中略)中国漁船団は「釣魚台は中国領土」というプラカードを掲げていた。中国側は、伝統的に尖閣列島が中国領土であると解しているのである。(中略)ソ連が力をもって北方領土を抑え込んだように、中国もいずれは尖閣列島に実効的支配をうちたてるであろうという決意のほどを示したのだろう。(中略)

「平和」とは、明らかに平穏や安穏の状態ではなかった。それは国際場裡に展開するパワー・ポリティクスの一局面でしかなく、非暴力的な手段でもって戦われた力の闘争以外の何物でもないのである。(中略)「軍事力なき経済大国」とは弱小国の別名にほかならず、共産大国の軍事力におびえる「心理的フィンランド化」が「政治的フィンランド化」に至る前哨戦に過ぎないことを、いろんな機会に痛切に思い知らされるのではなかろうか。

(2)ハイジャックは災害か

ルフトハンザ機のハイジャック事件で見せた西ドイツ政府の解決法(ウガンダのエンデべ空港に特殊部隊を突入させて乗客を救出した;三浦注)は、日航機乗っ取りに際してわが国が取った措置(600万ドルの身代金を払い犯人の要求をすべて飲んだ;三浦注)と著しい対照を示していた。(中略)両政府の処理法をめぐって、人命尊重か、それとも法秩序死守かが、朝野で大きな論争を巻き起こしている。(中略)しかしながら私は、問題をそのような形でとらえ、人命尊重か法秩序維持か、と論じるのは適切ではないと思われるのだ。(中略)

問題の本質は、ハイジャックをどうとらえるかにある、と私は思うのである。(中略)西独では、赤軍のハイジャックは市民全体に対し仕掛けられたゲリラ戦だと受け取られた。戦争である以上、人命尊重が後景に退いてしまうのは当然のことであろう。人命尊重の戦争など、、形容矛盾以外の何物でもない。同様に戦争と受け取られたからには(中略)多少の犠牲が出てもやむをえないといった強硬策の採用も、国民の広範囲の支持を受けるものと期待できたであろう。(中略)

これに反しわが国では、赤軍派のハイジャックは、一種の「事故」として見られたのであって、国民全体に対して仕掛けられた戦いとは受け取られなかったのではないか。だからこそ、たまたま事故に出くわした不幸な人たち、つまり人質たちの境遇を気づかって国民はテレビの前で一喜一憂していたのであろう。(中略)それに政府自身も、緊急避難の法理を類推適用して、「超実定法措置」を正当付けようとした。それははしなくも、ハイジャックを災害と同一視したことを暴露しているではないか。緊急避難という以上「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため」(刑法37条)にやむをえず赤軍派の要求通りに人質の身代金を支払い、日本国内の囚人を釈放したにすぎず、テロリストによる急迫不正の侵害行為が原因となっている、という視点は抜け落ちている。(中略)

しかしながら、ハイジャックはどこまでもハイジャックであって台風や洪水の如きものではない。それは今世紀60年代に開発された、ゲリラ戦法の一種なのである。ゲリラとは、スペイン語で「小さい戦争」を意味する。日本は戦争に負け、降伏条件を丸ごと飲んだ、というのが事の真相なのだ。

何しろわが国には、憲法第9条をよりどころに平和ムードが色濃く立ち込めている。そういう風土の中で国民の大半は、今度の事件をまるで他人事のように受け止め、不運な人質の身に同情を注いでいたのではないか。同時に、そういう風土の中で、我々はたとえ外から戦いを挑まれても、これと厳しく対決する気概を失い、厭戦気分ないし精神的敗北主義を糊塗し、あるいはそれを正当付けるために、「人命尊重」を念仏のように唱えているのであろう。

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