ナチスの空襲下で書かれたオーウエルの言葉

ナチス・ドイツがロンドンを空襲している最中、ジョージ・オーウエルは「ライオンと一角獣」という評論を書き、この戦争には勝たねばならないこと、同時にそのためにはイギリス国内における「社会主義革命」(これは民主社会主義の理念にほぼ等しい)、戦後のインドの民族自決承認、イギリスの古い階級意識の解体などが必要だと訴えました。この時点ではアメリカも参戦しておらず、独ソ戦も始まっていない、イギリスが最も危機的な状況下でしたが、オーウエルが勝利への確信、少なくとも断固戦い続けることの意志に少しの揺らぎもないことには感銘を受けます。そして、次のような知識人批判は、今の日本知識人にも耳が痛いのでは?少なくとも私には痛い。そして、このオーウエルの言葉は、どこかトランプ現象や、世界中で様々な形で起きているナショナリズムの復活を預言していたようにも読めます。

「今日何らかの意味で『左翼』でないようなインテリはいないことは注目してよい。T・E・ロレンス(アラビアのロレンスのこと:三浦)が最後の右翼インテリだったのかもしれない。(中略)イギリスの左翼インテリの精神傾向は、5,6の週刊誌や月刊誌から伺われる。これらの新聞雑誌を読んでただちに気づかれることは、全体に不平たらたらの否定的態度で、いかなる場合にも何等の建設的意見も持っていないことである。そこには、かって権力の座に就いたことがなく、今後ともつく見込みのない人々の、無責任なあらさがし以外の何物もない。

今一つの著しい特徴は、観念の世界に住んで現実にほとんど触れたことのない人々の感情の浅はかさである。(中略)少なくともその志向するところにおいて、イギリスのインテリはヨーロッパ化されている。料理はパリから、思想はモスクワから取り入れる。総じて愛国的な国民の中にあって、彼らは異端思想の孤島ともいうべきものを形作っている。世界の大国の中で、インテリが自分の国籍を恥じるのはイギリスくらいのものであろう。左翼方面では、いつも、イギリス人であることは何かちょっと恥ずかしいことのように感じられ、イギリス的慣習は競馬からスェット・プデイングに至るまで、ことごとく冷笑するのが義務のように感じられている。イギリスのほとんどのインテリが、慈善箱から金を盗むことよりも国歌の演奏中起立していることのほうを恥と思っていることは、奇怪ではあるが、疑いを入れない事実である。

開戦までの危機の間中、多くの左翼は国民の士気を削り取り、時にはへなへなの平和主義、時には熱烈な親ソという具合ではあったが、とにかく反英という点では一貫した考え方を広めようとした。それがどれだけ効果があったかどうかは疑わしいが、とにかくある程度の効果があったことは確かである。イギリス国民が数年間事実上士気沮喪に苦しみ、そのためにファシスト国家がイギリス人は『堕落』している、戦争に突入しても大丈夫だと判断したのだとすれば、左翼からの知的サポタージュにも一旦の責任はある。(中略)

(過去のイギリスにおいては、愛国心と知性とが相容れないものとみなされていたことを述べたのちに)愛国者は『ブラックウイズ・マガジン(大衆娯楽誌)』を読んで、自分たちが頭でっかちでないことを公然と神に感謝した。インテリはユニオン・ジャックを冷笑し、勇敢なんてことは野蛮だとみなした。こんな途方もない慣習はいつまでも続くものではない。何かといえばすぐせせら笑う文化人も、騎兵大佐と同じく時代遅れなのだ。どちらも現代国家には無用の長物である。愛国心と知性とはもう一度結びつかなければならないであろう。(中略)

愛国心は保守主義とは全く関係がない。むしろ保守主義とは反対のものである。なぜなら、それは常に変化しながら、しかし何となく同じものと感じられている何かに対する献身なのだから。それは過去と未来をつなぐ橋である。真の革命家はかって国際主義者であったためしはない。

この20年間、イギリスの左翼の間ではやってきた否定的、傍観者的なものの見方、愛国心や勇気に対するインテリたちの冷笑、国民の士気を沮喪させ、『そんなことをして何になるのだ?』といった快楽主義的な生活態度を広めようとする執拗な努力、それらは百害あって一利もなかった。仮に我々が、彼らの考えているようなへなへなの国際連盟的世界の中に生きていたとしても、それは有害であったろう。ましては総統(ヒトラー)と爆撃機の時代には、それは悲劇であった。たとえそれがどんなに嫌いでも、生き残るためには頑強さが必要なのだ。(中略)

イギリスが完全に壊滅するとしたら、それはイギリス政府がベルリンの命令のままに動くようになった場合だけである。しかしイギリスがそれ以前に目覚めていれば、そんなことは起こりえない。なぜなら、その場合は、たとえ敗北が必至だとしても、闘争は継続し、理念は生き続けるであろう。戦いながら倒れるのと闘わずして降伏するのとの違いは、決して名誉や少年の手柄話の類ではない。かってヒトラーも、敗北を受け入れることは民族の魂を破壊するといった。(中略)正にその通りなのである。(中略)ぺダン・ラヴァル一派(ヴィシー政権)が受け入れたような和平は、民族文化を故意に抹殺することによってのみあがなわれうるものである。(中略)

ネルソンやクロムウエルの後裔は上院議員にはいない。彼らがいるのは、田野や街頭、工場や軍隊、大衆酒場や郊外住宅の裏庭である。そしていま彼らは亡霊の世代に抑えつけられている。真のイギリスを浮かび上がらせる仕事に比べれば、戦争に勝つことさえ、もちろん必要ではあるが二次的なものに過ぎない。革命によって、我々は我々自身でなくなるのではなく、ますます我々自身になるのだ。(中略)私はイギリスを信じ、我々が前進することを信じる」(ライオンと一角獣)

繰り返して言いますが、今の日本に必要なのはオーウエルのような左翼。

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