書評 九鬼と天心 北康利著 PHP

書評 九鬼と天心 北康利著 PHP
 北康利の描く人物像は、どのような偉人であれ、真に愛すべき人物だと思わせ、本人の業績や著作を無性に読みたくなる気にさせてくれる。本書「九鬼と天心」も、明治と言う時代に生まれた大政治家と天才的な思想家についての飛び切り面白い評伝である。

 九鬼隆一は、一八五〇年摂津三田藩に生まれ、藩家老九鬼家の養子となる。明治維新後は慶応義塾に入学し、福沢諭吉は彼の才能は学者よりも政治と判断して、1年後には彼を文部省に紹介した。官僚として最初に九鬼が率先して行ったのは、当時の外国人教師の綱紀粛正だった。職務怠慢の教師に対しては、遅刻、欠勤などの事実を克明に調べ、事実を突きつけ減棒と言う具体的な罰を与える合理的な手法をとり、日本からの外国留学生達が優遇されすぎて不良化している事態にも、学資打ち切りという厳しい処置を下した。これは九鬼の近代的な資質を示すと共に、江戸時代が、いかに近代意識を育んでいたかを示すものだ。後に美術界のドンとなった九鬼が、裸体画の展示の是非を巡って大論争が起きた時に「わが国に古来からある裸体仏像や春画の類は今回の裸婦画以上の露出度である」(百九十一頁)として、警察等の干渉を堂々と拒絶したというエピソードも、明治近代と江戸時代の価値観の幸福な結合を示している。

同時に、九鬼は国民は、現時点では、師の福沢諭吉の望む、自立した近代社会の価値観を受け入れるのは難しいと言うリアリストでもあった。教育改革や政治制度改革では、九鬼は常に保守的な価値観の維持、国家による上からの改革を重んじ、個々人の自立を説く福沢は九鬼と絶縁する。九鬼は現実の行政の場で日本の実状を冷静に見つめ、さらに、アメリカに全権大使として派遣され、国際社会のリアル・ポリテイクス、力の論理を身を持って体験したからこそ、急進的な改革案を退けた。同時に九鬼は、廃仏毀釈運動によって消滅の危機に晒されていた日本の寺社や文化財の保護に力を尽くしたが、これも、九鬼が江戸時代までの日本の文化を深く愛し、同時に西欧美術をも理解していたからこそ、日本の文化財を守ることの意義をよく理解していたのだ。九鬼、そして後述する岡倉天心が日本文化を守った事の意義はいくら強調してもし過ぎる事はない。

 しかし、文部行政のエリートそして絶大な力を有し、帝国博物館初代総長、そして後には男爵という社会的には成功者だった九鬼の生涯には、妻、波津子の発狂という暗い一面が付きまとっていた。彼女もその美貌から、九鬼がアメリカ大使だった時にはワシントンの新聞記事を飾るほどだったが、異国の地で次第に彼女は精神の疲労に悩み、日本美術の保持・発展に九鬼の年若い同志として尽くした岡倉天心との不倫関係に落ちる。

本書のもう一人の主人公と言うべき岡倉天心は、日本美術の理解者であり、かつ崇拝者でもあったフェノロサと共に、徹底的に日本美術の偉大さを説き、九鬼等の支持を受けて東京美術学校の校長となるが、校服から教育内容にいたる、天心の徹底した独断専行や偏向が批判され、ついに校長の座を追われる。しかし、天心の奇行や日本、アジアへのこだわりは、少年時代漢文よりも先に英語を自由に操ったという事にも象徴される、西欧近代との余りにも衝撃的、かつ魅力的な出会いのが逆転して現れた一面があった。天心の鋭い感性は、日本やアジアとは決して共有し得ない何ものかが西欧近代価値観の根源にあることを見抜いていたのだ。天心は西欧近代文明に対する感動と同時に、それへの強烈な違和感から、日本やアジア全体の美意識や伝統に過剰なまでに結びついていったのだ。九鬼にはこのような違和感は薄く、日本を近代国家たらしめ、同時に自らの誇る日本文化をも保全する事が彼の矛盾なき目標だった。波津子と天心が共有したのは、西欧近代の合理主義、個人主義の中で崩壊していく自らの精神への危機感だった。二人の情熱的な恋愛と、天心の妻素子との愛憎劇が繰り広げられ、ついに波津子は精神の異常を来たし、後半生を寂しく病院で送る。これは、明治時代の暗部の象徴であり、近代が生み出した精神の悲劇だ。

 天心は横山大観らの弟子と共に日本美術院を結成するが、経営感覚の不足などから、優れた作品は残しつつも解散にいたる。学校経営が行き詰ると、まるで現実逃避のように雲隠れしてしまう天心の姿は、無責任とも取れるが、天心は近代化は避けられないこと、自分の問題意識や苦悩は、今後の日本では決して解決されないことを、ある諦念を持って受け入れていたように思う。死の床における「神様、あなたのなさることには感心できないことがある」(二百六十七頁)という言葉は、どこか時代のつぶやきのように聴こえる。

 そして、九鬼隆一の息子、九鬼周造も、本書では情緒溢れる文人として、また、もしかしたら真の父であったかもしれない天心への暖かい情愛を持ち続けた一人の人間として紹介される。副題ともなった「ドン・ジュアンの血の幾しづく身のうちに 流るることを恥かしとせず」(三百二十二頁)という周造の歌は、父への思いだけではなく、近代社会を拒否し、精神の貴族として、一生涯美を追い求めるロマン的反動の英雄としてのドン・ジュアンを思わせる。そして、狩野芳崖の名作「非母観音像」のモデルが波津子だという、本書最後に置かれた伝説は、「明かりも美しい。蔭も美しい。誰も悪いのではない。すべてが詩のように美しい。」という九鬼周造の言葉と共に、哀切なメロデイーのような読後感を残す。そして私は、「信太の森伝説」をベースに、道ならぬ恋の悲劇を描いた、文学者天心の最高傑作と思う戯曲「白狐」の中にも、波津子の面影はきっと残されていると信じたい。

以上は10年ほど前に「諸君!」で書いた書評ですが、これもこの度パソコンの中で見つけたので、多少修正し載せておきます。実はこの後、北氏自身から連絡がありまして、氏の奥様が私の小学校の同級生で、この書評で名前を知って驚いていたとのこと。大変ご無礼ながら私のほうは全く失念していたのですが、不思議なご縁という者はあるものです。

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