歴史を知り、歴史を生きた人 田中美知太郎 「諸君」最終号に掲載した文章です

今は亡き雑誌「諸君!」最終号に掲載させていただいた文章です。
偶然パソコン内で見つけ、懐かしくなりましたので掲載しておきます。

歴史を知り、歴史を生きた人 田中美知太郎

三浦小太郎

 田中美知太郎は、最も深く、「政治」を理解し、その価値を高くみた知識人である。保守派、進歩派を問わず、日本知識人の多くは政治を忌避する傾向があり、仮に政治を語る場合でも、自らのイデオロギーにとって都合のよい「政治運動」にコミットするか、または専門家として外交や経済面で一定の政策提言をすることにとどまった。

 また、直接運動に参加した知識人は、しばしば現実を無視して政治に自らの理念を押し付ける傲慢なデマゴーグと化し、または組織と個人の関係を「良心的」に苦悩する、これまた政治の本質とはかかわりない文学趣味に浸った。左右いずれであれ、政策提言のつもりが、単なる御用学者や、運動の最低の意味における同伴者、宣伝マンとなった例もまた多い。いや、私自身、自分がいつそうなるのではないかという不安のうちにいるというのが、北朝鮮を巡る運動に多少かかわっている私の正直な気持ちである。
 その私が時々立ち返るのが、田中美知太郎の訳したプラトンの「国家」である。以前は抵抗を覚え極論とも思えたプラトンの政治論や霊魂不滅論が、田中美知太郎の解説を通じ、政治を考えるのなら、政治にコミットするのなら、ここまでその本質を突き詰めなければ、真の意味で政治を変えることも現実を動かすことはできないのだという、知識人のあるべき政治との関係を教えられる思いがする。

 田中にとって、古代ギリシャ人と同様、国家や政治の問題は決して哲学、思想と切り離されたものではなかった。しかし同時に、知識人が政治の表層に運動としてかかわり、空虚な政治言論を撒き散らすことは、単に愚かしいだけではなく、古代ギリシャのデマゴーグたちがとっくに行ったことであり、なんら新しい知識人の姿でもなんでもない、繰り返されるファロスに過ぎなかったのだ。

 現代のさまざまな事象を論ずるとき、田中は古代ギリシャをはじめとし、常に歴史に先例を求め、特に民主主義社会の問題点は古代ギリシャのアテネに殆どその範があることを決して見失うことがなかった。かつ、「諸君!」紙上に連載された「時代と私」における、大正、昭和初期に田中美知太郎が過ごした青春時代の自由で豊かな学問生活と、アウトロー的な魅力すら備えた様々な交友と知識人たちとの出会い、かつ、戦中に驚くほどの正確さで日本の不利な戦況や軍部の失策を見抜いていた姿勢は、おそらく敗戦とともに、見るべきものは全て見た、という諦観すら感じさせる。

 そして田中美知太郎は戦後を、ペロポネソス戦争敗戦後のアテネ知識人のように迎え、民主主義の美点も堕落も知り尽くした視点と、アテネを打ち破りはしたが結局は自由と民主主義に変わる新しい価値観を打ち立てることはできずに、より強い力に滅ぼされるスパルタの類似物である、中ソやマルクス主義の抑圧体制の正体を最も早い時期から見抜くこともできた。

 しかし、田中美知太郎はいわゆる「保守主義者」「伝統主義者」ではなかった。、戦前戦中の日本を美化し、日本文化の特殊性や、日本的美意識や価値観に埋もれていく姿勢を、田中美知太郎は厳しく廃している。国際会議や知的交流の場では、日本の特殊性は決して強調すべきではない、と田中は何度も強調し、普遍性、共通性を議論せよと述べ続けた。田中美知太郎にとって、「保守」とは、歴史における知的遺産、歴史上の人々の行動と思索に対する敬意の念を持つこと、、現実の様々な新規に見える事象を、まず人類史の視点から解釈してみる姿勢だったのであり、「日本伝統」「日本歴史」に拘り日本の特殊性を言い募る「保守主義者」「伝統主義者」とはまったく無縁だった。歴史という普遍的概念を持って現在の虚妄を見抜く、古代から現代までを貫く知の巨人がいたことは、現在保守派の混迷の中、もう一度評価されるべきである。

 特に1970年代に田中美知太郎が書いたいわゆる政治評論や時局論が見事なのは、この普遍性と歴史に根ざし、当時の政治事件の表層上の激動にまったく動じていない姿勢である。連合赤軍事件を論じた「ひとつの戯画として」の中で、田中はリンチ殺人を犯した赤軍派を決して罵倒も狂人扱いもしていない。田中は、彼らのリンチ殺人は「人民裁判」であり、共産圏ではしばしば行われていることであって決して特殊な例ではない、と述べ、また彼らの日常は、彼らがおそらく望んでいたような権力との戦いではなく「次第に裁判と、その判決執行の仕事に限定され、集中されて行ったのではないか」と見る。これは、過去の革命の歴史の殆どがそうであり、田中美知太郎はフランス革命だけではなく、スパルタとの敗戦後、スパルタ占領軍を背景として設立された30人の独裁政権によるアテネ市民への大量処刑を例としている。「革命はやむを得ないものとして特別の場合に生じる万民の不幸なのであって、わざわざ起こすやうなものではないのである」1972年の段階で、このような素朴な、しかし歴史の心理が語られていたのだ。

 この30人の独裁政権のリーダーは、ソクラテスの弟子の一人でもあったクリチアスだった。田中美知太郎は戦後すぐの1956年に書かれた「ソクラテス」(岩波書店。本書も歴史的事実を仔細にたどりつつ、ソクラテスの実像にかなう限り迫った名著である。「ソクラテスの妻」の悪妻振りが誇張であることや、その結婚にまつわる興味深い異説などを、私はこの本ではじめて知った)において、この人物を印象深く紹介している。

 民主主義が堕落して結局祖国の敗戦を招いたことに反発し、スパルタの軍事規律社会を賛美したクリスチアネスは、その「反民主主義革命」を過激に押し進め、恐怖政治をアテネにもたらした。これに対し穏健派はその行き過ぎを批判し、是正するよう求めたが「革命に流血はつきものだ」とクリスチアネスは聞き入れず、穏健派をも処刑してしまった。理想に燃えた過激派が、その過激思想をエスカレートさせていく中、実は自分により近い人物こそが敵として映り、その「粛清」を求めていくという事例は、フランス革命やスターリンを見るまでもなく古代ギリシャですでに現れていたのである。

 さらに、田中美知太郎は戦前、戦中の体験に照らし合わせて、ベトナム戦争、特に北ベトナムの実態を「テト攻勢」の時期に完全に見抜いていた。日本のベトナム戦争報道を、戦中の大本営とどこか共通性を持つと感じていた田中美知太郎は、テト攻勢に対しこう述べている。「ベトナムで共産ゲリラが市街戦に戦争状態を持ち込んだ騒ぎが、新聞ではなばなしく報道されてゐたが」それはどこか「新聞記事は戦争中の抜刀斬り込み隊の活躍を報じた」ものと似た文面であり、実際の戦争の全貌は伝わってこない、と1968年の文芸春秋4月号に書いている。また、ベトナム和平が一時的に成立した73年3月号「何が残るのか この一年の回想」にて、テト攻勢時のユエにおける虐殺に触れた後、北ベトナム政権を構成している人物は「故意に、一般市民を戦闘の渦中にまきこんだり、捕虜その他を人質にとったりして、相手の人道主義的感情や合法主義を利用するところがあるのではないか」と指摘した。

 当時ホーチミンは英雄視され、北ベトナムをこのような視点で見る知識人は少なかったが、ベトナム統一後の南ベトナム解放戦線の弾圧、今なお続く一党独裁と人権弾圧、宗教者への迫害、そしてボートピープルの出現を見るとき、少なくともホーチミンを聖人のように讃えた人よりもはるかに田中美知太郎の目が正しかったことは明らかである。これこそ「歴史に、戦争体験に学ぶ姿勢」なのだ。北ベトナム同様、当時その意義が過大に評価され、時にはまったく新しい世界の誕生と言われていた中国の文化大革命も、田中美知太郎にとって、東洋的専制支配下での過去の伝統の破壊という、保守伝統を守る姿勢からも、また自由を愛する姿勢からも、無意味な破壊でしかなかった。

 同時に田中美知太郎は、自民党を保守政党ではないと、ソクラテス風に揶揄すら交えて批判する。「この政党はいつも目新しいことを試みては、国内にいろいろな騒ぎを引き起こしてきている。」(「諸君!」73年3月号収録「保守と革新」)田中美知太郎は、政治の世界では無為無策ではならないだろうが、新しい試み(「改革」というべきか)は、必要やむを得ない最小限度にとどめるべきなのに、自民党は、人気取りの流行の案や、官僚たちが作り出してきた案にすぐ飛びついてしまう、外交においても同様であると、日中国交回復への性急な態度を指摘している。このような自民党批判は、今現在の保守の側からの自民党批判を殆ど先取りするものであり、しかも現在の論者にかけている健康な叡智とユーモアにあふれている。

 このような冷静な視点を常に有していた田中美知太郎は、国家の基本を、防衛、警察、税務、法治などきわめてプラグマテイックなものとしてまずは認識していた。現在では保守派知識人がアメリカを批判する際、移民からなる人口国家ゆえの問題点や特殊性を批判する傾向があるが、ギリシャのポリス(都市国家)はそもそも移民が人工的に作り上げてきたものであり、田中美知太郎はアメリカ批判や人工国家批判とも殆ど無縁であった。しかし、そのようなプラグマテイズムや現実的な政治分析と同時に、ここで再びプラトンの「国家」に戻るのだが、田中美知太郎は、国家と正義、国家と善、そして国家と宗教というものの関係を、プラトン同様もっとも深い時限まで考え抜こうとする姿勢をも有していた。おそらくこの点が、私たちがプラトンを通じ、そして田中自身の思想を通じて現在学ぶべき、最も重要な点である。

 私はこの問題を今だ述べる力を持たない。しかし、ソクラテス風に言えば、政治を語り、人権を語り、国家を語って、正義、善、信仰の問題を語らなければ、まさに何も語っていないのと同様であり、せめて、今時分は何も語っていないのだという意識を持つことだけが、自らの限界を知ることなのである。「国家」について、田中美知太郎のプラトン論とそこから導かれる独自の思想について、私はいつか正面空学びなおさなければ、極端に言えば私の運動自体も無意味なものに終わるとすら思っている。(終)

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