葦津珍彦「天皇 日本人の精神史」より。紀元節にふさわしい言葉と思い紹介します。

紀元節の日、偉大な神道思想家、葦津珍彦氏の言葉を紹介させていただきます。

神武天皇の伝承にも明らかなように、天皇は『祭り主』なのだ。民と国との平らかに安らかなることを祈り、それを高天原の神から授けられた使命だと信ぜられている。だから東征が始まって、諸方の敵方との戦いに際しても、常に高天原の神から「民を安んずる使命を授けられたもの」としての絶大な自信があり、対等者間の制覇戦争という意識でない。中国流の語法で云えば、あくまでも天子なのであって、覇者の意識ではない。これは思想精神史の上では大切な伝承なのだ。

しかしそれは、あくまでも烈々たる武力発動である。民を安んずるための最初の基礎となるもの(国家存立の第一条件)は、弱肉強食の無法状況を克服して平和と正義の秩序を確立することにある。この条件無くしては、いかなる国家も成立しない。古代建国の時代が、神武天皇に始まるのは、当然の道理である。(中略)
このような壮大な古代天皇の武勇によって、日本の島国には穏やかで平和な秩序が固まる。その烈々たる神武には、敵対する者が全く絶無という状況になって、文明の花開く温床が準備される。(中略)日本の皇室には敵対者がいないので、皇室は文字通りに「仁者無敵」の立場に立たれ、その精神的気風も対敵意識のない、全く高貴な気風が高まっていく。中国から「王者無敵」の仁政の政治学などが移入されてくると、その発祥の地、漢土よりもさらに高く理想的に花開くということになってくる。(「天皇 日本人の精神史」葦津珍彦」
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