ジュブナイルSFシリーズを讃える といってもあんまり覚えてないんだけど「暗黒星の恐怖」(キャンベル作)は原作をうまく子供向けに変えていた

SF小説は私は子供のころ、せいぜい高校生のころまでしか読んでいません。周囲にはハヤカワSF文庫読破を人生の目的としているかのようなマニアや、ローダンシリーズの愛好家とかもいたんですけど、もうこの年になれば告白してもいいと思いますが、私にとってSFとは、エドガー・ライス・バロウズのぺルシダーシリーズ(要するに地球空洞説で地下にはもう一つの世界があり、其処は恐竜が支配しているという世界)、ロバート・E・ハワードのコナンシリーズ、はたまた「ジュブナイルSF」と言われた「少年少女もの」だったんです。(SFファンからすればぺルシダーシリーズのどこが「サイエンス」なんじゃといわれておしまいでしょうけど)もちろん、20代、30代になってから、ハインラインの「宇宙の戦士」「異星の客」とかは読みましたよ。でも、名作であることは認めますが、そんなにのめりこむというわけではなかった。「宇宙船ビーグル号の航海」とかも、ジュブナイル版で読んであまりにも面白く、後に文庫本を買って、こんなに違うものだったのかと驚いたくらいですから。

でもいまだに忘れがたいジュブナイルSFは「暗黒星の恐怖」キャンベル作 野田昌宏訳。これは「偕成社 SF名作シリーズ24」で1972年に出ているから、たぶんその3,4年後に読んだんだと思うけど、これははっきり今でもいくつかのシーン覚えている(つもり)。もう本自体はどこかに行ってしまって、古書でも結構な値がついているけど、世の中には私のような人間もいるんだから、少年少女向けにこういうのももっと復刊することはできないのでしょうかね?

この原作はジョン・W・キャンベル「暗黒星通過!」で、1968年の段階で野田氏はすでにハヤカワ文庫で翻訳しています。そしてこの訳は子供向けに書き直したもの。うろ覚えの中ストーリーを言えば、高度に発達した文明を持つ惑星がありましたが、その星を照らしエネルギーを与える恒星である太陽は力を衰えさせており、いつかこの星は滅びることを予定づけられている。しかし、それまでの発展の歴史はすでにこの惑星では衰退に代わり、人々は生き延びるためにほかの星を探し、征服しようという意志も気力も失っている・・・という話だったような。私の記憶では、主人公はタジ・ラモクという名でしたが、若い勇士である彼が、地球を含む太陽系を見出し、地球を征服するために宇宙船団を繰り出していく、という話だったと思います。最後には彼らは破れ、タジ・ラモクも死ぬのですが「ああ、あの遥か彼方の暗黒星で、私たちの帰りを待っている仲間たちよ…」とつぶやきながら死んでいくシーンがうろ覚えながら印象的でした。そして、その失敗の後、一つの宇宙船も帰ってこなかったにもかかわらず、かえって人々は覚醒して、座して滅亡を待つのではなく、新しい、自分たちは移住して平和に生きていける星を探す、という終わりだったように思います。

原作では、敗北するところまでは同じなのですが、タジ・ラモクは戦死せずわずかな部隊を連れて帰還し、新たな太陽系を求めて出発することが語られて終わっていました。基本のあらすじは守ったうえで、野田氏が子供向けに、むしろ滅びゆく暗黒星人に同情が向くように、悲劇的な面を書き添えて紹介していたようです。ハヤカワ文庫の「暗黒星通過!」は読み直しましたが、やはり人間、想い出は聖化されるのは致し方なく、少年時代の感動は正直蘇らなかった。こういう野田昌宏のような「啓蒙家」が今の時代もっといてほしいと思うし、それは少年少女に活字の面白さを教えるうえでも大切な存在のはず。

そして、たぶん今の時代にわたしが中学生、高校生だったら、ジュブナイルSFに出会う可能性は低いかもしれないから、むしろライトノベルといえばいいのか、みおちづる作「少女海賊ユーリ」(童心社)あたりにはまったかもしれない。このシリーズ、SFファンはともかく、私のような「少年少女SF」大好きの人は結構はまるかもしれないと思うので、心当たりのある人は騙されたと思って読んでみるといい。

でも、ロバート・E・ハワードとかは作者本人も独特の人生を送っているし、ヒロイックファンタジーの元祖としても読まれ続けるんでしょうけど、バロウズとかはやっぱりもうマニアックな世界なのかな。私も今再読してどう思うかはわからないけど、私は一生手元において読み返す本というのは確かに普遍的名作なんですが、人生のある時期熱狂し、本を読むことの喜びを教えてくれて、その後再読することはまずない小説というのも、それはそれで一つの役割を果たしているんじゃないかと思う。「類猿人ターザン」だって面白かった記憶があるし、特に前半部、ジャングルに取り残された白人夫妻の物語はなかなか悲劇的で、その部分だけでも(またまたうろ覚えですいませんが)悲劇的な短編になりうるような出来具合だったと思う。この小説も結構面白かったので、映画版ターザンはどうにも見る気にならない。

もしかしたらジュブナイルSFの役割は、もうアニメや漫画、あるいは違う形でゲームなどの世界に移ってしまったのかなあ。それはそれで仕方がないかもしれないが、「宝島」「ジャングルブック」「三銃士」が少年少女向けに書き直され読者をえ続けているのだから、星新一と宮部みゆきさんがいるからもうその役割はいらない、というのは寂しい限りです。どこか出版社企画してみたらどうだろうか。作家によっては喜んで引き受けてくれると思うだけどなあ。ハインラインの「宇宙の戦士」を高千穂遥氏に頼むとか、どんなもんでしょうか?

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