映画「海賊と呼ばれた男」迷っている人はぜひご覧になったほうがいいですよ。個人的には「永遠の0」より映画としては上

映画「海賊と呼ばれた男」、もし未見の方で迷っている人がいたら、ぜひご覧になることをお勧めします。個人的な意見ですが、映画としては「永遠の0」よりもはるかに面白かった。原作の印象は実は逆で、私は「海賊」のほうは、まあ引きずられるように最後まで読みましたけど、今一つ好きにはなれない作品だったんですよ。これは好き嫌いだから小説の評価とは別。ただ「永遠の0」では、主人公とその姉という現代人のキャラクターが小説の中で実に効果的に描かれ、彼らに感情移入もできたんですけど、「海賊と呼ばれた男」のほうは、主人公を筆頭に出てくる人物がどうにも立派すぎる人と、後は官僚主義の悪の極みのような人が出てくる感じで、今一つ物語の中に入れなかったんです。ところが、映画のほうは、主人公の岡田准一と、そして悪役を見事に演じきって、ある意味映画の中で最も存在感を見せつけた國村隼の名演もあって、大変素直に映画の中に入れました。逆に「永遠の0」の映画版は、私としては作品の魅力の一つだった主人公の姉の成長過程があっさり抜けてしまっていて、どうにもそこが物足りなかったんです。

百田尚樹という作家は、以前にも書きましたけど、資料の編集能力の見事さと、現在の大衆の情念をつかみ取る能力には本当に優れていると思います。この映画はもちろん出光佐三をモデルにしてはいるんですけど、その性格付けは現代の大衆に受けるように巧みに作られています。特に百田氏は、これは彼自身の体験に根差しているんだろうけど、日本の官僚システムや、先例重視主義、既得権益的なものに対しての徹底的な敵意があって、それは彼のほとんどの作品を覆っています。本作も、石油メジャーや日本の官僚機構と結びついた既得権益業界は徹底的に敵視されていて、それが原作ではちょっと類型的に描かれすぎているように思えたんですが、映画で國村隼が演じた石油配給統制会社社長が、単なる悪役だけではなくそれなりの秩序を維持しようとする意志のようなものを演技の中に滲ませているのが私には好ましかったです。

もちろん、上下二巻の対策を映画化するんだから、例えば主人公を私財を投じて助けた木田章太郎のような、原作では最も魅力を感じさせたキャラクターが殆ど一瞬しか出ないといった残念さはありますよ(近藤正臣がいい味を出してますけどね)。しかし、例えば原作では、かって自ら身を引いた妻(綾瀬はるか)が、実は生涯彼を思い続けていたことを知っても、主人公はあまり感情を表に出さず、かすかに後悔の念をみせただけなのですが、映画では泣き崩れそうに感情をあらわにする。これは原作の統一感から行けば確かにここで泣かせたら作品の世界が崩れてしまうんでしょうけど、私はこの時の岡田准一の演技のほうがはるかに感動的に見えました。このシーンは作品全体のなかなか肝になっているというか、仕事と使命感をすべてと思い生きてきた人間が、一瞬、それ以外の価値に目覚めるシーンとして個人的には印象的でした。

でも、この作品とか、後モーニングで連載中の『疾風の勇人』 大和田秀樹 とかを読むと、戦後高度経済成長への原点回帰というか、資本主義が元気だった時代、しかしバブル時代とぞれに続くグローバリズムのような無国籍なものではなく、「日本国」の資本主義として機能していた時代への回帰みたいなものが確かに一部では求められているような気がします。百田氏はある意味、大衆の無意識みたいなものを捕まえる才能がある。だからこそ、不用意に書くツイッターとかでは、現在の大衆の素朴なナショナリズムや、時として内在する他民族への敵意などがそのまま出てしまうこともあるのですけれど、少なくともこの映画は、個人的にはとても楽しめました。山崎貴という監督は正直苦手だったのですが、百田作品とは波長が合うのだろうと思う。それも「三丁目の夕日」が、やはり別の意味で大衆のノスタルジア、かくあってほしかった時代の幻想を紡いでいたことと、何か関係があるのかもしれない。

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