「わが祖国」を歌うアメリカ人はいずこへ アメリカの時代と夢が終わるとき


かなり怪しい、というかめちゃくちゃな訳かもしれませんが

「次の歌は、アメリカについて歌われた最高傑作で、ウディ・ガスリーの歌だ。いまでは、ピッツバーグでも工場がつぶれ、失業者が国中に溢れている。この歌はもう、真実じゃなくなったかもしれない。でも、少なくとも、アメリカはこうあるべきだという歌だ。この歌を聴いている人は、考えてみてほしい。国をめちゃくちゃにしてしまうのは実は簡単なことなんだと」

だいたいこんな意味のことをスプリングスティーンは語ってから、ウディ・ガスリーの名曲「わが祖国」を、まるでカントリー・ブルースのように歌い始めています。ボーン・イン・ザ・USAツアーの時の映像ですが、これはやはり何度見ても胸に迫る。

「わが祖国」は、60年代のフォークブームの時、軽快に、楽天的なアメリカ賛歌のように歌われたことがあって、そんな風に歌われると、単なるアメリカ万歳みたいに聞かれる恐れがあります。もちろんそれはそれでいいヴァージョンだけど、ピーター・ポール・アンド・マリーとか、ブラザース・フォアとかのグループがうたうとそんな感じにもとれる。スプリングスティーンとしては、「ボーン・イン・ザ・USA」もそのようなアメリカ賛歌のように受け取る人がいたことに相当不満があったらしい。もともとウディのこの歌は、確かにゴスペルぽく盛り上げることもできるんだけど、もともとは、大恐慌時代の、さまよう農民たち(スタインベックの「怒りの武道」の世界)をテーマに、このアメリカは金持ちや地主たちだけの国だけじゃない、カルフォルニアからニューヨークまで、この国は僕や君のような人間たちのものなんだ、というテーマを歌ったもので、スプリングスティーンの歌唱は原点回帰ともいうべきもの。

ウディは自分では社会主義者を意識していたようですが、私は最も言葉の正しい意味で、この人は「ポピュリスト」だったと思います。彼にとってt社会主義は理念ではなく、現実に職を求めて家を出てさまよう季節移住労働者そのものを指していた。「この世に住む家とてなく」「辛い旅をしてきた」「砂嵐のバラッド」などの題名を見るだけでそのことはよくわかる。だから、ルーズベルトが公共事業としてグランド・クーリー・ダムを建設し、多くの労働者が雇われたときにはそれを讃える歌「グランド・クーリー・ダム」で「アンクル・サムは挑戦した」と政府の施策を讃えたのは、彼にとって何の矛盾もなかった。

よく誤解されがちなのですが、反知性主義やポピュリズムという言葉は、悪い意味だけではなく、あらゆるイデオロギーの欺瞞性を本質的に見抜く生活者の意識という面もある。この意味で、ガスリーも、そしてスプリングスティーンも、多くのすぐれたアメリカの歌い手は、最もいい意味でのポピュリズム性をどこかで持っています。そして、例えばクリント・イーストウッドの映画には、これこそアメリカの保守派の神髄を感じさせられますが、リベラルと保守という表層の違いを超えて、いずれももっともよい意味での「反知性主義」、もっと言えば、知識人やジャーナリズムの上からの啓蒙を拒絶するものが共有されているように思えます。

今回のアメリカ大統領選挙の複雑さは、このような生活者が持つ既存の権力や特権階層に対しての怒りが、リベラル派でも保守派でもなく、トランプ的なアジテーションにしか共鳴する場がないということではないかと思います。その意味で、本当にサンダースは惜しかった。サンダース対ルピオだったら、全く違う、アメリカン・リベラリズムと保守派の伝統的価値観のぶつかり合う大統領選の構図があったはず。しかし、そのようなアメリカの理想を、リベラルも保守ももう体現できる力を失っていたのでしょう。リベラル派が既得権益的なクリントン、保守派がグラスルーツの本音を最も野蛮な形で体現するトランプを候補にせざるを得なかった今、アメリカの夢も、アメリカの理想も、そしてアメリカの時代も終わりつつあると実感します。クリントンが勝とうがトランプが勝とうが、アメリカの夢も、アメリカの時代も終わります。アメリカの軍事的覇権はまだしばらくは強大なものですが、それとは関係ない。アメリカ的な価値観が世界に対し説得力と魅力を持った時代が終わるということでしょう

ただ不思議なことに、確実にアメリカの時代が終わりつつある今、私は自分がどれだけアメリカという国と文化に対し愛情を持っていたか、影響を私なりに受けていたか(もちろん、それは英語もろくに喋れない私の「アメリカ幻想」に過ぎないとしても)初めて強く実感しました。これからの世代は、アメリカも、大国である以上無視はできないけれど、単なる一つの外国として冷静にとらえるようになるのでしょうし、私のようなアメリカへの特殊な愛情も幻想も持つことはないでしょう。それはそれで、時代の変化であり、あえて言えば日本国民の成熟と進歩といっても全然かまいません。ただ、私にとってのアメリカへの挽歌を私なりに一度は書いてみたいと思っています。

私にアメリカの歴史や文化を、どんな本よりも説得力ある形で教えてくれたのは、やはり音楽と映画でした。それらに親しむ中、私の意識にも行動にも発言にも、どこかでアメリカ的なもの、繰り返しますが、それが幻想に過ぎないものであれ、私にとっての良きアメリカ的なものが染みついていること、その意味で私は最後の「親米派」に属するのかもしれません。

もう一つ、強烈に「アメリカ」を感じさせる音楽と映像。

ルイ・アームストロングはこの曲(ブルー・ヨーデル)を、1930年代、ガスリー同時代に、これもカントリー・シンガーのジミーロジャースと録音。約40年後、70年代、テレビで同曲をこうしてジョニー・キャッシュと演奏しました。アメリカにはひどい差別があるのはもちろん事実。しかし、こういう「歴史」もある。

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