ロストロポーヴィチを聴きなおした

チェリスト、ロストロポーヴィチの映画「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」が公開された直後にこの大チェリストはなくなりました。その追悼のつもりで書いた文章がでてきましたので、ここに掲載しておきます。この映画のDVDは入手できないようですが、あまりにもったいない。まあ映画としての評価は別として、ここで演奏される現代作曲家、ペンデレッキのチェロ協奏曲、中々哀愁に満ちた帯びた名曲でした。

この文章を書くに当たって彼のCDをいくつか聴きなおしましたが、まさしくチェロ界の「豪快さん」であった。

二〇〇七年四月二七日、ロシアのチェリストにして指揮者、ムステイスラフ・ロストロポーヴィチ氏が八〇歳で死去。同月日本公開されたドキュメンタリー映画「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」が、奇しくも追悼上映となってしまった。

ロストロポーヴィチのチェリストとしての偉大さは今更語るまでも無い。上記の映画でも、作曲家ペンデレッキの新作を演奏するロストロポーヴィチの手元で、チェロがまるでヴァイオリンの様な繊細さとチェロ特有の豊かで奥深い響きを殆ど同時に表現している様には耳を奪われる。

そして、ロストロポーヴィチは輝かしいヒューマニストでもあった。一九二七年音楽家の夫婦の子供として生まれ、少年時代からチェロに親しみ、抜きん出た才能を発揮、五〇年代には既に大スターとしてソ連でも破格の待遇を受けていた。妻のガリーナ・ヴィシネフスカヤは、逆に音楽には殆ど縁の無い、教育にも無関心な家に生まれた。しかし、彼女は殆ど独学で音楽を学び、ソプラノ歌手として大成する。表面的には、二人はソ連のエリート芸術家夫婦だった。

しかし、ソ連政府の官僚主義的政策は早くから様々な疑問や抑圧を二人に感じさせていた。才能ある作曲家や前衛音楽家が評価されず、政府のプロパガンダに沿った低俗な音楽が「民衆の芸術」と評価されえることに耐えられなかったのだ。ソ連の大作曲家ショスタコーヴィチが一九四八年批判された時のことを、ロストロポーヴィッチは八〇歳の時も激しい怒りと共に回想している。一四歳の時に、自分はショスタコーヴィチやプロコフィエフに感動した。彼らへの共産党の批判は馬鹿げたものとしか思えなかった。しかし同時にロストロポーヴィチを絶望させたのは、そのような「正直なばか者」が何百万人もいたことだった。「新聞で読んだ労働者の投稿は、一生忘れられません。『プロコフィエフとショスタコーヴィチの曲をやると流れたので、急いでラジオを切った』彼は正直だった。凡人は天才を理解できないんだから。凡人は子供を産み、その子は孫を生む。孫は理解し始めるでしょう。」(映画での発言)

ロストロポーヴィチは、決してここで選民意識に陥っているのではない。共産党政府のプロパガンダに易々と乗せられ、自分が理解できないものを反射的に否定し、しかもその発言を文化官僚の芸術支配に利用されていく大衆の姿に、ソ連国民の精神的堕落を見抜いたのだ。

ロストロポーヴィッチ夫妻は七〇年以降、反体制作家ソルジェニーツインを、当局の迫害から守る為に自宅の別荘に匿う。当局の批判や脅迫に対し、ロストロポーヴィチは堂々と反論した。ソルジェニーツインの思想信条が何であれ、彼が一人の人間であり、安全に住む所が必要である以上、私達は彼を追い出すことはできない。勿論、これはロストロポーヴィチが世界的な音楽家であり、特権エリートだったからこそできた行為だ。しかし、ソ連に当時著名な芸術家やエリートは沢山いたはずだが、ソルジェニーツインのために行動を起こした人は殆どいなかったのだ。さらに、共産党宛の公開書簡を発表、芸術分野への政府の干渉に明確に抗議。ついにソルジェニーツインと同時に、一九七四年、ロストロポーヴィチ夫妻は西側に亡命せざるを得なくなる。

亡命後、ソ連全体主義体制の実態をさらに明確に批判、サハロフ支持のデモなどにも積極的に参加。ロストロポーヴィチは世界最大のチェリストにしてソ連民主化の闘士と讃えられたが、八二年のインタビュー「ロシア・音楽・自由」(みすず書房)にはユーモアを愛し、人間を愛し、音楽に絶対的な敬意を奉げる素朴なロシア人夫婦の姿が浮かび上がる。特に妻のガリーナが語るロシア文化への堂々たる誇りは、逆にこれだけの「愛国者」が故国を離れる決意の厳しさを想起させる。

 この時点では、夫妻はロシアにもどることは永久に不可能だと覚悟していた。「あの体制が存続する限り私達がロシアに戻ることはないでしょう。そして私が生きている間にその日が来ることはありえません。」(「ロシア・音楽・自由」よりガリーナの言葉)夫妻は共産党独裁のソ連の民主化は近い将来ではありえないと考えていた。

 しかし、この予想は良い意味で外れた。経済の混迷、原発事故、老朽化した官僚体制によって追い詰められたソ連はゴルバチョフによるペレストロイカに踏み切り、結局この「改革」はソ連の民主化へと道を開いた。一九九〇年、ロストロポーヴィチ夫妻は帰国、翌九一年の旧共産党保守派のクーデターの際はモスクワに駆けつけ、テレビで市民に対し、今の苦境を耐えて将来の豊かで平和なロシア実現のために、民主化を後退させてはならないと訴え、同時に自由化すれば直ちに裕福になれると扇動する拝金主義を批判することも忘れなかった。この後、ロストロポーヴィッチ夫妻は、豊かな財産と世界の人脈をフルに活用し、亡命時代から開始していた福祉活動をさらに広範囲に展開していく。

 映画監督のソクーロフは、ロストロポーヴィッチ夫妻を、偉大なる古きヨーロッパの英雄として讃えつつ、同時に、ヨーロッパがこのようなスケールを持った人物を再び生み出せるだろうかという哀切の念を映像に潜ませている。しかし、一九世紀後半にも、人々はドストエフスキーやトルストイの死と共に、一人の思想家の思考と発言が、時代の矛盾を切り裂き世界と対峙するような、大知識人の時代は終わったと感じたはずだ。しかし、二〇世紀という大衆の時代にも、一人の芸術家の勇気と信念は、いかなる権力にも打ち勝つという真実を、ロストロポーヴィッチ夫妻、そしてソルジェニーツインは身をもって示したのだ。

 ロストロポーヴィッチの名盤は数知れないが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(カラヤンとの共演は大熱演、小沢征璽との共演は暖かく雄大)、指揮者としてはショスタコーヴィチの5番交響曲が個人的にはお薦めである。ロストロポーヴィチの音楽は人を感動させるだけではなく、勇気、圧制への怒り、また自由の価値といったものまでをも、私たちに伝えてくれるように響く。

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One Response to “ロストロポーヴィチを聴きなおした”

  1. 相原和子 より:
    私はまさにこの映画に出てくる楽友協会の現場に居合せ、映画にも偶然映っていましたので、DVDにならないかと時々検索しているのですが、ならないですね。残念です。

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