阪神大震災とオウム真理教

震災の中の平常心

 オウム真理教についてはサリン事件直後には様々な論説がなされたが、今は一部の研究者以外には狂気の妄想集団としてほとんど論じられることもない。しかし、今回の大震災に際し、私はふと阪神大震災時のオウム真理教の言動を思い起こしていた。

 当時オウム真理教は、神戸大震災を「預言」した、占星術によって時期と場所を的中させたと宣伝していた。実際の「預言」によれば、まあ当たったといえば当たったという程度の当てにならぬものである(他の預言はほとんど外れているか、強引な解釈で「的中した」とされている)。しかし、狂信者の間では、本人たちが当たったと思えば絶対の真理となってしまう。

 そして、さらに麻原とオウム幹部は奇怪な妄想に取り付かれていく。彼らの政治観、国家観は極めて単純な東西文明対立論とユダヤ陰謀論に根ざしており、アメリカの消費晋本主義こそアジアの精神文明を破壊する敵であり、その背後にあるのはユダヤ・フリーメーソンに代表される国際的な闇の権力機構だという、オカルト雑誌や怪しげなユダヤ陰謀論本でおなじみの陰謀史観だ。彼らはその史観から、阪神大震災を「地震兵器」により引き起こされたとまで考えたのである。

 この発想は彼らにとっては、妄想ではなく「合理主義」なのだ。オウムはそれまでも、自らの宗教体験や「奇跡」「修行の成果」と証するものを、しばしば科学的に意味づけようとした。私からすれば、体験や信仰は非合理なものであるからこそ尊く、その科学的証明や検証などは非信仰者に任せておけばいいと思うのだが、彼らは自らの信仰や体験には科学的根拠がなければならないとする、「科学信仰」の持ち主だった。そして、阪神大震災をも自らの陰謀論に当てはめようとした。「世界を支配する闇の勢力」により、日本を破壊するための「地震兵器」が作動したと考えるのが、彼らにとって最も「合理的」な解釈だったのだ。

 その後のオウム真理教の引き起こしたサリン事件についてはひとまずおく。しかし、私たちは今回の東日本震災に対し、ごく一部とはいえ、震災をそのまま事実として受け止め、災害に耐え、また冷静に対策を練るのではなく、オウム真理教ほどではないが「妄想的」言動に走り、いたずらな危機を煽る危険性はないか、あるいは自らがそのような妄想に足をすくわれはしないか、少なくとも被災地以外の人々は充分心を配る必要がある。

 前号で紹介した柄谷行人の「マクベス論」から再度引用する。柄谷はマクベスに殺されるバンクオーについてこう書いている。ご存知のように、巻くベスとバンクオーは劇冒頭で共に魔女の預言を聞く。未来に王になれると聞いたマクベスはその預言に取り付かれて現在の国王を殺し王位に着く。そして、バンクオーは彼の息子が王に慣れるという預言を受けるが、行動は何も起こさず、マクベスの殺人や王位簒奪を冷ややかに眺め長柄、マクベスの予言が成就したのだから、自分の息子も王に就けるのではないかと期待して待ちつつ生きるようになる。その姿を柄谷はこう分析していく。

「預言を聞いて以来、バンクオーは現実に生きることをやめた。つまり彼はマクベスに殺される前に、既に生きながら死んでいたのだ。一体彼の子孫が王になるということが、彼の現在にとってどんな意味があるのか。」

「どんな必然性が未来に想定されたとしても、それは彼が今ここで生きていることとどう結びつくのか。預言はマクベスとは違った意味で彼を荒廃させたのである。」

 私は科学には全く無知である。その上で書くのだが、将来の日本の放射能汚染の危機を語る言説に対しては、私は「無知」の立場で受け止めようと思う。私は震災現地にいるわけではない。東京で日常を送っている。仮に将来の汚染の危機が事実であったにしても、この震災が日本に与える経済的な影響等が甚大なものであったとしても、それは「今ここで生きている」私の日常と直結するものではない。

 作家隆慶一郎の傑作「影武者徳川家康」に、次のような文章がある。「現実家だから、危険に対しては敏感だ。だが危険は恐ろしいものだ、という風には、この男達は考えない。危険は考慮し、対策を考え、対策のない時は極力それを有利に使おうと考える。やがて起こるかもしれない恐怖の場面を脳裏に描いて、早々とおそれるということをしない。そんな恐怖心ぐらい根もなく意味もないものはない。その時はその時のことだ。今は今である。だから、将来の危険は今の歓楽を少しもさまたげる事がない。」

 これは英雄豪傑の胆力などと言うものとは少し違う。いつの時代も庶民はこのように、危険や運命を引き受けながら生きてきたのだ。このような真の意味での「正常心」こそ、実は危機に対し最も友好な精神のあり方である。被災地の映像で、東北の方々には、涙と共に笑顔を絶やさない人の姿が写される。あの笑顔を支えている精神こそ、日本の誇るべき正常心のはずだ。

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