映画「酔いがさめたら うち家へ帰ろう」酒を飲みすぎる人は一度は絶対観たほうがいい

故鴨志田譲さんの文章と西原理恵子さんのカットによる「アジアパー伝」は、アジアに生きる日本人の記録として素晴らしい作品だったと今でも思っています。日本人と言ってもエリート駐在員とは程遠い、いわゆるダメダメ日本人、一山当てようとしてやってきてアジアで挫折し、そのまま住み着いてしまった人たちの姿が哀しくもおかしかった。そして、彼らと付き合うアジア人たちがまた同じような人たちで、特ダネがあると言って持って来てはまるでどうでもいい話だったり、平気で詐欺まがいのことをしたり、それでも、悪人というよりは彼らもまたアジアの混沌の底で何とか居場所を探そうとしている姿が愛しく描かれていた(特に第一巻での障害を持った少女の話は忘れがたい)

実はこれって鴨志田さんの半端ではない文章力と「人間力」なのです。例えば同じ体験を私がしたとする。多分、自分のみじめさをやたら誇張するか、もしくはひた隠しにして、アジア人たちをもっと露骨に毒々しい存在として描いたり、あるいは都合の悪い部分を一切書かずに、「貧困のもたらす人権問題」みたいにまとめあげたり、これはどっちも現実とはかけ離れたものなのですけれど、そのような本にしてしまったと思う。もちろん、そんなものはだれも読まないし読んでも誤解しか与えない。

でも、鴨志田さんにも、重要ではあるけれど書けない体験も数多くあったはず。その一つが、カンボジアでのイエン・サリとのインタビューしたこと。これはちらっとアジアパー伝でも西原さんのカットで記されているけれど、ポルポト派の幹部として虐殺に携わった人物とのインタビュー映像という、本来ならば重要なニュース映像は結局使われることはなかった。それは同時期、ダイアナ妃の事故による死亡というニュースが重なったからでした(ついでながら、それまで彼女に批判や揶揄を浴びせていたマスコミがいきなり聖女のような扱いになった時の違和感を私は今でも覚えています)

鴨志田さんは西原さんとの結婚後、アルコール依存症となり、東南アジアで覚えたドラッグの後遺症も重なったのか、惨憺たる結婚生活の末に一時離婚、精神病棟とアルコール依存症病棟に入院したのち、がんで亡くなったことも、鴨志田さんの最後のエッセイ「酔いがさめたら うちへ帰ろう」や、西原さん自身の幾つもの対談集や著書で明らかになっています。そして、このエッセイを東陽一が監督として映画化した同名の作品が、今もDVDで販売・レンタルされています。

勿論映画としても素晴らしいのですが、この作品、自分にアルコールに依存する傾向があると思った人、また、その家族は絶対観てみると言い。とにかく主演の浅野忠信が素晴らしい。彼の演技の中では、「地雷を踏んだらサヨウナラ」と今作が最高のように思います。特に、一時は禁酒の誓いをし、医者にかかって抗酒剤を飲んだものの、お寿司屋さんで出してくれた奈良漬を食べてしまい、そのわずかなアルコールの香りで再飲酒をしてしまうシーンの演技、これ、私もほんとに身につまされました。今日は飲むの止めよう、と思っても、今の世の中って酒場に行かなくてもコンビニで何時でも自由に酒買えますからね、しかも安く手軽に。もちろん便利になったんだけど、それも善し悪し。「ビールくらいならいいだろう」とコンビニに行った主人公が、そのまんまいつのまにか日本酒まで飲んで、ついに意識を失って昏倒するシーン、あれ、酒飲みは笑えない。

そして、「闘病生活」と言っても、基本的にはお酒をやめることなわけで、正直世の中から同情される病ではない。例えば癌です、と言った場合、もちろん悲劇ではあるけれど、運が悪かったとか、多少は同情が集まるわけですけど、この病気は自業自得に観られる。この点を一生懸命啓蒙活動でただそうとしているのが現在の西原さんの仕事の一つで、それは少しづつ理解を広げてはいるだろうけど、まだまだ時間はかかるでしょう。患者たちも決して好意的に描かれてはいない。かってのアジアの人たちのように、みじめで、おかしく、そして頑固に生き方を曲げようとしない哀しい人たちとして描かれている。

鴨志田さんも、戦場カメラマンをめざし、ある意味、どうしても好きになれなかった親と故郷を離れて羽ばたこうとアジアに向かったのだろうと思います。誰しも、故郷や家を一度は否定しないと、おそらく人間として脱皮できない時がある。でも、日本を去り、故郷を拒否し、そして戦場という異郷に身を置いてこそ見えるものがあったことは確かだし、それは鴨志田さんを成長させただろうけれど、結局彼が最後の素晴らしいエッセイで描き、そして、東監督が見事に映像化したのは、この一見平和に見える日本にも、いくらでも戦場もあり、人間の心の闇もあり、そして戦争にやぶれさまよう難民もいるという根源的な真実だった。それはアルコール依存症の形で現れることもあれば、また、全く別の形で現れることもあるでしょう。惜しむらくは時間はあまり残されていなかったけれど、鴨志田さんは日本の闇を描ける数少ないジャーナリストに、その早すぎる最晩年にたどり着いた。

鴨志田さんの印象的なせりふに、自分は戦場に行って、また悲惨な現実を観て、カメラマンとしてそれを記録することよりも、ただ感情的に泣くしかできなかった、それが自分がカメラマンとして大成できなかった原因の一つだと語り、かつ、イエン・サリの映像という、まさに現代史の矛盾の体現のような記録より、一人の女性の事故死の方がはるかにニュース価値がある報道界への絶望も吐露しています。でも、これらはいずれも、嘘ではないけれどたぶん本質ではない。戦場や難民の姿に、単なるジャーナリズム的な論理や「人権、人道、歴史の記録」などという言葉ではとらえられないもっと深い個人と歴史のドラマを感じたからこそ、彼は単純にシャッターを押せなかったのだろうし、現実のジャーナリズム界が彼を受け入れなかったのではなく、彼の価値観がその世界を越えていたからこそ、あらゆるきれいごとから離れた「アジアパー伝」が書けたのだと思います。

鴨志田さんが亡くなってからすでに8年がたち、この映画も公開されてから10年になる。がんを宣告された鴨志田さんは、原作では夜、ホタルの一筋の光を見つめている。この映画では、川辺のほとりに妻とたたずんでいる。この描き方の違いに、私は映画と文学、それぞれが全く違う次元の美しさを持っていることに驚かされました。ぜひ見てほしい映画ですし、読んでほしいエッセイです。


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