「夢・大アジア 第2号」(集広舎)に「秋瑾 ある悲劇的存在」を書かせていただきました

2月20日に発売されました、「夢・大アジア 第2号」(集広舎)に「秋瑾 ある悲劇的存在」を書かせていただきました。福岡でアジア主義の復興を担う季刊誌です。私の原稿はともかく、他にも野口 健 , 衛藤 晟一 , 藤井 厳喜, ペマ・ギャルポ, 惠 隆之介, 古谷 経衡 田中 健之, 浦辺 登 , 小暮 恵介, 井本勝幸、イリハム・マハムテイ、オルホドノ・ダイチン、またミャンマーやタイの方々など、多くの皆様が執筆しておられます。

この秋瑾についての寄稿は、戦後文学の得意な作家、武田泰淳の「秋風秋雨、人を愁殺す 秋瑾女史伝」(ちくま文庫)を読み、深く感銘を受けて書いたものです。冒頭に引用した秋瑾の言葉をここで紹介します。

1875年に生まれ、1907年蜂起に失敗し処刑された彼女は、日本国留学時、日露戦争における日本の勝利を讃える「日本海軍凱歌」を謳いあげていた。

『狡き俄(ロシア)陰き鷙大いに信無し(中略)東方を蠶食す勢未だ止めず。 明治天皇勇武の姿, 獨立精神鑑齒を寒からしむ。』

 また秋瑾は「我が同胞に捧ぐ」という文章にて、日露戦争に出陣する日本軍を国民が万歳を叫んで見送る姿に深い感動を覚え、同時に清国の現状を憂いている。
『うらやましいのは日本の子供たちが大も小も、路傍に立ち並び、手を挙げるもの、小旗を振るもの、万歳を叫ぶもの、その可愛らしさはお見せしたいくらいで、こちらは真実、うらやましさのあまり死にたくなりました。』
『日本人がかくも団結し、かくも軍人を大切にするからこそ、生を忘れ、命を捨てて戦場におもむかずにいられないのです。だからこそ、死を恐れぬ決心を抱き、勝たずばどうして帰国して国民に顔向けできようかと考えます。(中略)俄国(ロシア)の如き大国が、この小さな三つの島の日本に、かくも手ひどく打ち破られたのも、もっともではありませぬか。』

 さらに彼女は、軍人の家族には恩給が与えられ、出征の兵士を送り出すことは家の名誉として讃えられるばかりか、旅館や酒場なども軍人は料金が半額になるなどの社会的な優遇措置が取られていることを指摘した上で、祖国の現状を次のように慨嘆する。

『しかるに、憐れむべし、わが中国の兵は、毎月減らされピンハネされる乏しい給料で、かつがつ家も自分もまかなっていかねばならず、上官に会えば、猫ににらまれた鼠どうぜん、少しでもへまをやれば罵られたり打たれたり、権勢ある人の兵隊を見ること、賤しき奴隷を観るようで、同席もしたがらず、兵卒こそ一番下等だと、軽蔑されている。(中略)中国兵が教育を受けていないのが、そもそもの原因。中国人全般に教育がないことの不利損害は、二日や三日では説き尽くせるものではありませぬ。』

「秋瑾は清国の兵士と日本の兵士を比して、清国の兵士は「教育がない」ことを嘆いていた。彼女の日本軍への讃美よりも、清国の「無神経な動物」のような民衆への絶望と悲嘆、そして呪詛こそが彼女の真意であり、未熟で性急な形であれ、親の世代の卑屈さも、夫の俗物性も、同世代の知識人、留学生の優柔不断も、また日本政府の清国とのかりそめの妥協も、すべてを拒絶して死に真っ直ぐに突き進んだ。民衆は勿論彼女の声には答えなかった。この革命家と中国民衆の悲劇を文学として昇華したのが、かって彼女が罵った魯迅だったというのは、皮肉のようで当然のこととも思われる。魯迅もまた、母国と自民族への絶望から出発し、その絶望の中にのみ希望を見出そうとした人物だった。」(「秋瑾 ある悲劇的存在」より)

もし興味を持たれましたら、「夢・大アジア」第二号、手に取ってみて下さい。

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