昨日はウイグル12ムカーム出版記念講演会でした

昨日はウイグル12ムカーム出版記念講演会が無事終わりました。おいでになってくださった方々、まことにありがとうございました。司会を引き受けてくださった佐波優子さん、ボランテイアをしてくださった方々にも深く感謝します。翻訳者の萩田さんが講演の中で、なぜウイグルで素晴らしい音楽や歌が生まれたかについて、自分自身の体験を通じ、苛烈な自然環境、戦争の絶えなかった厳しい歴史などを例に語っていただき、かつ、ウイグル支援者が時として12ムカームをロマンテイックに語りたがる傾向を、実はあまり根拠のない説(例えば16世紀の段階でほとんど12ムカームは完成していたという説)によりかかったものとして明確に否定するなど、専門的な内容を大変わかりやすく語っていただきました。

この講演内容は、「ウイグル12ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」にも記されていますし、また、実はより整理した形で、「夢・大アジア第2号」(集広舎、来年2月発売予定)にも掲載される予定です。よろしければぜひお読みください。

実は素人でありながら、私も結構勝手な思い入れで12ムカームについて、現在発売中の月刊日本12月号(K&Kプレス)にも書いておりまして、これはまあたぶん相当にピントはずれな原稿と思いますが、興味のある方は手に取ってみて下さい。ちょっとだけ引用します。

「(前略)ムカームの歌詞はほとんどが愛の歌であり、恋人への讃歌、また狂おしい悲恋を訴えたものである。しかし、この歌詞の背後には当時の時代状況の反映、各地方の風俗・習慣の表れから、イスラム教神秘主義スーフィズムの影響まで、様々な奥深い世界が広がっている。例えば、次のような詩のスケールの巨大さはどうだろう。

「春が来て お前の顔の花園を隠していた幕が開けられた 蕾がほころぶ番となり 棘の姿は隠れてしまった 春の日のような光で 花園は聖なるシナイ山となった 来れ モーゼよ 言葉を交わし 光と火の秘密を解き明かせ」(百八十八頁)

 自然と恋人への讃歌と、神への信仰が一体となったような詩の世界観は、確かに近代以後、全く世界が失ったしまったものである。いや、例えば漢詩の世界には、自然との一体感や世界との調和とスケールはあっても、この詩のような激烈な神への憧れと信仰はない。」勿論、日本の古典文学にも見られない世界であり、また同じ一神教伝統のヨーロッパにおいても、信仰と恋愛とを融合させた姿勢は聖母マリア崇拝に萌芽的に表れたのみではなかっただろうか。春を讃え、恋人を讃える精神が、そのまま「光と火の秘密」に号位置していくような精神の在り方は、果たしてこのような詩世界以外のどこにあるだろう。

この詩を書いたナスイーミーという十四世紀の詩人は、イスラム神秘主義のフルーフィー教団に属していた。この教団はアゼルパイジャンやトルコ系の帰依者を集めたが、危険視されて弾圧を受け、始祖は処刑され、この詩人も正統信仰を冒涜する異端者として残酷な刑で殺されている(本書解説二百五十五頁)。
そして、より繊細で抒情的な次の作品。

「輝く太陽が 夜毎暗幕の中に入ってしまうように 夜の灯が 私の孤独な住まいに 夜毎姿を見せる あの人は夜毎 友らと共に朝日のような笑い声をあげる 私は蝋燭のように心をもやし 真珠の涙を流す 夜空の星々は 夜が太陽と離れた悲しみに 胸を焦がしてできた傷跡 私の体にも 夜毎愛の日に焼かれてきた 無数の焦げ跡が隠されている」(四十五頁)

 この「夜空の星々は 夜が太陽と離れた悲しみ」というイメージは、美しいだけではなくユニークとしか言いようがない。この詩を書いたナワーイーは、この十二ムカーム中でも最も多くの詞が紹介されており、また政治家、音楽家、そして代表的古典詩人であり、多くの若い詩人たちを導き、また人々に親しまれた箴言を数多く残した文化的英雄として今もウズぺキスタンで尊敬を集めている(本書解説二百五十五頁)。そして、敬虔なイスラムであったナワーイーの叙情詩が、しばしば異教徒の恋人を讃えているのも興味深い。この詩も次のように続く。

「説教者よ 私がなぜ、一人の夜に祈ることができよう 信仰心と理性を 夜毎あの イスラムの徒でない人がとっていくのに」これは信仰の弱さではなく文学性の高さと精神の自由さなのだ。さらに言えば、イスラム教以前の自然信仰、特に人間と自然との豊かな一体感を失っていないことによる。人間の精神は、宗教的戒律のみで調整しきれるような狭いものではない、それは自然そのものの存在なのだ。「空を白く覆っているのは満点の星ではない あれは私のため息が作り出した雲 雲が作り出す水で、この世のすべての創造物は潤された」(ナワーイー、四十七頁)このような精神に導かれた民族は如何に幸福であったことか(後略)。 (月刊日本2014年12月号「『ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌』を読んで」三浦小太郎 より)

昨日会場で12ムカームの映像も流したのですが、その踊りも歌も、このムカームがいかに幅広い民族の文化と歴史が背後にあるのかを考えさせるものでした。歌詞だけでムカームを論じてきた私がいかに無知だったかも悟らせていただきました。このすぐれた芸術作品が日本でもっと知られてほしいものです。

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