これは埋もれてはもったいない名著 黒沼ユリ子「ドボルジャーク」リブリオ出版

リブリオ出版から出されているひのまどか氏の連作音楽家評伝はいずれも素晴らしいと思うのですが、図書館とかには置いてあっても、どうも一般的には今一つ読まれていないような気がする。基本的に子供向け評伝と思われているからでしょうけど、音楽の専門家や研究者ならともかく、ごく普通のクラシックファンで、手軽に大作曲家の伝記を読みたいと思う方でしたら、私は真っ先にこの人の書いたものをおすすめする。各作曲家の人間性がこれだけわかりやすくかつ愛情を込めて描かれている本はめったになく、しかも、子供用にやさしくは書いていても、決して事実を捻じ曲げたりはせず、最新研究もきちんと読んだうえで事実確認をしているように読めます。

ただ、このシリーズのドヴォルジャークだけは、ヴァイオリニストで教育者、エッセイストでもある黒沼ユリ子氏が書いていて、内容もほかの作曲家よりも多少厚いものになっていたので、古書で買いはしましたが少し積読になっていた。先日、用事がひとまず片付いたので読んでみましたが、いや、これは名作。黒沼氏の作品の中でも、個人的にはベストに入るのではないかと思うほど素晴らしい。

ドヴォルジャークと言えば、まあ誰しも最初に聴くのは「新世界より」ですよね。小学校か中学校の頃学校とかで。そしてあとチェロ協奏曲、弦楽四重奏曲「アメリカ」、ピアノかヴァイオリンの小曲「ユーモレスク」まあこの辺で、大体後は交響曲8番とかに行くくらいで、ドヴォルジャークはまあクラ入門にはいいですな、という程度でだんだん軽んじるようになるのが大半かと。実は「新世界より」の方が8番交響曲よりほんとは好きな癖に「8番の質の高さがわかると新世界はちょっとね」とか言い始める。ま私がそうでしたからねよくわかるんですよ。しかし本書を読み、「新世界より」をストコフスキーの晩年の録音で聴きなおし、ついでに勢いで「スラブ舞曲集」というCDを注文し、実にドヴォルジャークさん生意気言ってすいません、貴方の10000分の1の才能も努力も人を喜ばせる仕事もしてこなかった私が貴方をバカにするなんて身の程知らずでございましたとお詫びしている次第です。それくらい、この本には力があります。

特にすばらしいのは前半部、チェコの農村や居酒屋でのドヴォルジャーク家や庶民の姿を描いた部分の文章の素晴らしさ。ドイツ&オーストリアの抑圧下、凶作があれば飢餓が襲い、子どもたちが幼くして世を去る悲劇と、それでも日々の生活を音楽とともに、陽気に生きて行こうとする村人たち。ドヴォルジャークの少年時代はそれほどたくさんの資料があるわけではないのでしょうが、どこにでもあった19世紀当時のチェコ農村の実態を著者が調べた上で、現在メキシコでの少年少女を教育している著者の体験もひそかに交えながら、貧しい中も生きていく人々の姿を生き生きと描いています。

そして、元祖鉄オタともいうべきドヴォルジャークの鉄道との出会いの場面、これは鉄道ファンでもなんでもない私にも実に説得力のある部分で、鉄道はもちろん当時最新近代技術の粋であったと同時に、村と家族しか知らずに生きている人々にとって、新たな世界への旅立ちのシンボルでもあったことが感じ取れるような文章になっています。また、チェコの民族主義の偉大さと矛盾は、大作曲家スメタナがドイツ語しかしゃべれずそのことで一時いかに苦悩したかをわずかに触れるだけで著者は的確に表現していますし、ドヴォルジャークのカンタータ「讃歌」が、当時のチェコ民族の独立の意志と、チェコの偉大な殉教者、ヤン・フスの精神を体現していたことは、正直この曲の存在すら知らなかった私には衝撃的でした。ドヴォルジャークがチェコ民族としての意識や独立への意志をここまで持っていたとは。

この本を読むと、ドヴォルジャークという人はいわゆるエキセントリックな天才肌というのではなく、いい意味で「常識人」だったことがわかります。それも、なあなあの常識人ではなくて、どんな不幸(子供たちを連続して失うとか)にも幸福(作曲家としては大成功し生前から名誉を得ていた)にも、どちらの場合も正常心を失わないという「強固な常識人」だったということ。彼の音楽のある種の安定感ってここからきているのかも。その辺りの個性を、著者はドヴォルジャークの手紙そのものを引用しつつ描いていて、特にブラームスとの交流は心温まるものがる。若き日のドヴォルジャークはワーグナーの音楽に熱狂していて、当時ワーグナー派とブラームス派は犬猿の仲どころかお互いをののしりまくっていたようですが(ロマン・ロランのブラームスへの非難を読んで、もうこりゃ誹謗中傷だと思ったことがある)ドヴォルジャークは「いいもんはそれぞれいい」という全く当然の常識を持っていたんだろうなあ。でも、人間的には絶対ワーグナーとは合わなかったと思うが。それと、本書で記された「チェロ協奏曲」と、ドヴォルジャークの初恋の女性との関係は、これはクララ・シューマンとブラームスのエピソード以上に中々泣ける。

ドヴォルジャークに「スラブ舞曲」という曲集があって、これはブラームスのハンガリー舞曲は多少聴いていた私も、実はほとんど今まで興味を持たなかったんですが、この本を読んで何としても聴きたくなり注文、何度か繰り返し聴いています。本書のドヴォルジャークの少年時代と村の風景がよみがえるような名曲。私はノイマン指揮チェコ・フィルハーモニーの演奏で聴いてますけど、いろいろ名演ぞろいのようだし、まずこの本を読めば絶対聴きたくなります。

あとこの本には、チェコの国民画家というべきヨセフ・ラダの絵が挿絵としてつけられていますが、これがまた素晴らしい。酒場、教会、農村での作業風景、この人のポストカードとか欲しくなってしまった

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