ニューヨークフィルの平壌公演がDVDになってるとは・・

今知ったのですが、ニューヨーク・フィルハーモニーの平壌公演がDVDになっているのか・・

http://www.hmv.co.jp/news/article/808120083/

2008年当時に私が書いた原稿をそのまま掲載します。あの時は腹が立ったよなあ。

ニューヨークフィル平壌公演

 来る2月26日、ニューヨーク・フィルハーモニーの平壌公演が予定されている。予定曲目は米朝両国歌、ガーシュインの「パリのアメリカ人」ドヴォルザークの「新世界より」等。平壌でアメリカ国歌並びに、アメリカの作曲家ガーシュインの作品、そしてアメリカをイメージして書かれたと言われる「新世界」が演奏されることは、明らかに単なるコンサートを超えた米朝和解の政治的イベントとなりうる。このニュースを知った時、筆者はかって同じニューヨーク・フィルが、ナチス政権下で音楽活動を行った大指揮者、フルトヴェングラーを拒否した事件を思い出した。この大指揮者と政治のドラマは「カラヤンとフルトヴェングラー」(中山右介著、幻冬舎新書)が最も臨場感溢れる筆致で描き出している。

 20世紀を代表する大指揮者フルトヴェングラーは、1936年当時、ベルリン・フィルハーモニーを指揮して活躍していた。彼は政治には全く無関心だったが、ユダヤ人演奏家への迫害から彼らを守り、またナチスが批判する作曲家ヒンデミットの「画家マチス」を演奏、さらに新聞誌上で同作品を擁護するなど、音楽家としての原則的立場を貫いていた。

しかし、同時に彼はドイツ音楽への徹底的な愛情から、ドイツを去り亡命するという発想は皆無だった。そして、ナチスはヒトラーが自ら演奏会の最前列に着き、指揮者に握手を求めてその瞬間を撮影し全世界に公開するなど、この指揮者を「ナチスドイツの代表的音楽家」として宣伝し、フルトヴェングラー本人も、それを受け入れざるを得なかった。

 そして、同じくイタリアの大指揮者、トスカニーニは、この当時ファシスト政権を拒否して亡命、オーストリアとアメリカを主に指揮活動をしていた。そして、高齢のためニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任することになり、その際後継者としてフルトヴェングラーを推薦した。フルトヴェングラーは快く引き受けたが、ナチス政権はこれに激怒した。彼はあくまでナチスの広告塔だ。ゲーリングはフルトヴェングラーは既にベルリンで重要な音楽監督の地位にあるという虚偽の発表を行い、これがニューヨークの特にユダヤ系市民の中に激しい反発を引き起こした。結局、フルトヴェングラーはナチス(つまりドイツ国)との訣別をさけ、ニューヨーク・フィルの音楽監督の地位を辞退した。

 トスカニーニはこの行動に怒り狂った。翌年、オーストリアのザルツブルグ音楽祭にて、フルトヴェングラーを彼は論難した。「あなたはナチなのだから、ここから出て行きなさい。ドイツにいる以上、党員ではなくとも、ナチです。今日の世界情勢では、奴隷化された国と自由の国の両方で同時にタクトを取ることは芸術家として許されません。」フルトヴェングラーは「音楽家にとって自由な国も奴隷化された国もないと考えます。ワーグナーやベートーヴェンが演奏される場所では、人間は自由なのです。私が偉大な音楽を演奏し、たまたまそこがヒトラーの支配下にあったとしたら、それだけで私はヒトラーの代弁者になるのでしょうか。」と反論した。2人の議論は全く平行線をたどった。

 第2次世界大戦中、フルトヴェングラーはナチス崩壊の直前までベルリン・フィルやバイロイト音楽祭で指揮を続けた。バイロイトはヒトラーの崇拝するワーグナーの楽劇のみを上演する音楽祭であり、戦争中は会場には「総統の招待客」としてドイツ軍兵士の姿が多く見られた。そして、ただ一度だけだったが、1942年のヒトラー誕生記念祝典でも指揮棒を取らざるを得なかった。そして、彼自身は拒否したかったが、ドイツ軍占領地域であるスエーデンでの指揮をも引き受けざるを得なかった(ゲッペルスは彼に様々な便宜を与え「借り」を作っていたのだ)。

 敗戦後、フルトヴェングラーはナチスへの協力を追及され約2年間は演奏会で指揮を取ることはできなかった。ナチスの犠牲者達からすれば、やはり彼もナチスの宣伝に力を貸した一人と見なされたのだ。そして復帰後、シカゴ交響楽団への客演指揮に招かれたが、正式発表が行われるや多くの音楽家の抗議運動が起きた。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、ハイフェッツらアメリカの著名な音楽家達が、フルトヴェングラーがシカゴに招かれるのなら自分たちは今後一切シカゴには客演しないと声明したのだ。しかし、そこにはユダヤ人であり、ナチスの迫害によりアメリカに亡命した、指揮者ブルーノ・ワルターの名前はなかった。彼はかってフルトヴェングラーのかなり強引な工作によってベルリン・フィルの音楽監督から追い落とされたことがあり、またユダヤ人としてこの署名に名前を連ねてもおかしくなかった。フルトヴェングラーは僅かな救いを求めてワルターに連絡を取り、自分はドイツ国内で必死で抵抗し、ユダヤ人音楽家を助けてきたのに、このような反対運動がおきるとは理解できないと手紙で弁明した。

 ワルターは返信した。自分はこの反対声明には一切関わっていない。しかし、貴方が偉大な芸術家であったからこそ、ナチスドイツで貴方が活躍する事が、ナチス政権の対外宣伝に利用され、多くの免罪符や道徳的権威を悪魔の体制に結果として与えてしまったことをよく自覚すれば、この様な反対運動が起きる事が「理解できない」はずはない。しかし、自分は貴方がナチではなかったことは確信しており、怒りや恨みよりも、和解しようという意志を優先したい、という条理を尽くした手紙を送った。

 今私がトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーのそれぞれ素晴らしい録音に耳を傾ける時、私は音の背後にそれぞれの指揮者の心情や、彼らが辿った歴史のドラマが浮かび上がるような気がしてならない。そして、かってこれほどナチス協力者に厳格だったアメリカ音楽界が、強制動員されるだろう平壌市民と、収容所体制と拉致犯罪に直接の責任がある金正日テロ・独裁政権の幹部達の前でニューヨーク・フィルの演奏会を行うことに、私はさらに悲喜劇という言葉以外の何も見出すことはできない。

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One Response to “ニューヨークフィルの平壌公演がDVDになってるとは・・”

  1. coici sato より:
    通りすがりですが、僭越ながらコメントさせて頂きます。

    >偉大な芸術家であったからこそ、ナチスドイツで貴方が活躍する事が、ナチス政権の対外宣伝に利用され、多くの免罪符や道徳的権威を悪魔の体制に結果として与えてしまったことをよく自覚すれば、この様な反対運動が起きる事が「理解できない」はずはない

    フルトヴェングラーの言動を全て見ていれば、的確なことを言うことは可能でしょうが、残念ながら僕にはそれは不可能です。

    ただ、一音楽家として、演奏を聴いてもらうことで人々を救える、ともし信じていたのであれば、ナチス政権下であろうと、愛する母国ドイツの国民を救う為には、ドイツで演奏するしかなかったはずです。
    悪魔の体制は、フルトヴェングラーが仮に亡命したとしても、どんな手段を使おうと代わりの方法を見つけ出したであろうと思っています。
    ナチスと彼らに反発できない国民の中で、ユダヤ人は、ただ殺させるしかなかった人が大勢いたはずです。
    もしかしたら、生き残ったユダヤ人を救ったのは、連合軍かもしれません。
    しかし、フルトヴェングラーが何かをすることで、連合軍の動きが変わったとは思えません。
    亡命するのも命がけかも知れませんが、しかし、一度手筈が整い、成功すれば、後は外から意見を述べるのみです。
    「自分の地位を利用し、一人でも多くのユダヤ人の命を事実として救い、命に危険が及ぼうと、必要ならば体制に意見を述べる」という行為のほうが、どれだけユダヤ人の命を守ったか、またどれだけ実行するのが恐ろしいことか、と思うのです。
    メヌーヒン等がどういう理由でフルトヴェングラーを評価していたのかは分かりませんが、上記のことのようなことは決して小さくないのではないかと思っています。
    北朝鮮のことと直接関係なくてすみませんが、そのフルトヴェングラーを断罪しておきながら、北朝鮮政権幹部の前でのニューヨーク・フィルの演奏は良い、というのは、確かに矛盾を感じます。
    駄文、失礼いたしました。

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