今年はワーグナー生誕200周年

今年、2013年は、作曲家のリヒャルト・ワーグナー生誕200周年です。どのようなイベントがあるかないかわからないけど、かなり話題にはなるんじゃないかなあ。ワーグナーって、もちろん音楽としても素晴らしいけれど、オペラの演出、ナチスとの関係、現代社会とのかかわりなど、いろいろなテーマで語れる人だから。

なんせ同時代人がニーチェで、最初は熱烈な讃美者で後に批判者になったわけで、その当時からワーグナーの作品は、単なる音楽を超えた時代的・思想的問題として受け止められていたし。当時トルストイがワーグナーのオペラを観て、もう異様なほど怒り狂い、こんなものを作曲する奴も聴くやつもおかしいのだと激怒しているエッセイを読んだことがあるけど、これまた、言ってることはめちゃくちゃだけど(なんせトルストイはシェークスピアも大嫌い)、ある意味、トルストイが音楽や芸術に何を求めていたかがよくわかる文章でした。天才は最悪の誤解をするときでも、天才らしく間違えるものである、というのが私の考えたことわざ。

ワーグナーは一時は社会主義に共感し、革命運動にまでコミットしたけれど、晩年はある意味ヨーロッパ右翼の思想的シンボルになって行ったことも事実でした。実生活でのワーグナーはユダヤ人音楽家を登用したり、決して差別的ではなかったようだけど、少なくとも彼の書いたものの中には、資本主義による芸術の堕落を単純な反ユダヤ主義に結びつけた、まさにヒトラーが喜びそうなものもある。そしてワーグナーのパトロンだったルードウイッヒ二世は、ドイツの近代化と統一に対し、ある意味ロマン的反動の立場から抵抗した人だった(まあそうはいってもやったことはひたすら中世趣味の城を建て、その中で英雄伝説やオペラのコスプレをし妄想にふけるというもので、最後には王様いい加減に国費を無駄遣いするのはやめて下さいと周囲から攻められ、幽閉されて謎の死を遂げるという困った人なのですが)。そのほかにも、まああえて言えばその後の20世紀でヨーロッパの右派、反ユダヤ主義者に属する文学者や思想家が(ゴビノー、チェンバレン、ダヌンツイオなど)ワーグナーを崇拝していたことは事実です。

まあ、繰り返しますが、この19世紀末から20世紀初頭にかけては、反ユダヤ主義が資本主義批判、近代批判と密接に結び付いた時代で、ワーグナーもその「時代の空気」に影響されていたということd章。でもこれはあんまりタブーにしないほうがいのは、確かにそういう目で見れば、ワーグナーのオペラのいくつかのセリフや登場人物は、資本主義社会の矛盾、拝金主義、精神的退廃を描くと同時に、ドイツ精神礼賛やときには反ユダヤ主義にとられかねないものもある。この辺は私は日本人だからあんまり気づかないし気にならないけど、たぶん、ヨーロッパ、アメリカ、そしてイスラエルなどでは簡単に割り切れないものがあるのでしょう。その上でワーグナーのオペラがつまらないものなら論議にも値しないけど、それはやっぱり多くの人に感動を呼ぶわけで、だからこそ現在に至るまで様々な演出がされたり、また、多くの思想家がワーグナーについて、時にはワーグナーをテーマに時代や思想を語ろうとしてきた。戦後、フランクフルト学派の思想家アドルノもワーグナーの影響を受けたらしいと言えば、この問題の幅広さがわかるでしょう。ついでに言うとどうもフランクフルト学派と聞くと保守派の一部は過激派左翼と思うようですが、それはまあ一部、マルクーゼとかはそうかもしれないけど、そんな単純な話ではなく、むしろドイツ哲学の伝統的継承者の一面もあるように思います。まあこの辺は仲山正樹氏の本とかを読むといいんでしょうけど。

その意味で、以前も紹介しましたが、清水多吉著「ヴァーグナー家の人々」(中公文庫)は、大変勉強になるとともに、ナチス時代にヴァーグナーがどう受け入れられていたか、かつナチスとはなんだったかの勉強にもなる名著です。これは音楽に興味がなくても読んでおいて損のない一冊だと思う。ナチスが、19世紀までは維持されていた伝統的社会の価値や秩序に対し、それなりの「社会革命」「文化革命」を打ち出していたこと(だからこそ一時的ではあれ民衆の支持を得た)ことをこれほど簡潔かつ見事に描いた本は少ない。

第2次世界大戦中も、ぎりぎりまで、ワーグナーの作品のみを上映する「バイロイト音楽祭」はナチスの支援下で夏に開催され続けました。傷ついた兵士たちが多く、ヒトラーの「招待客」として会場に招かれました。彼らのすべてが音楽を理解し楽しんだとは思いませんが、ワーグナーの音楽の中に、このようなドイツの芸術を守るために死のうというある種の決意(それがどんなにヒトラーに利用されたものであれ、人間、死ぬかもしれない戦いに行くときに何らかの決意や思いは必要でしょう)を与えられた若い兵士もいたはずでしょう。そこで上演されたのは、ワーグナーの「ニュールンベルグのマイスタージンガー」でした。

このオペラは、中世ドイツを舞台に、青年騎士ワルターが「マイスター」乱暴に言えば市民、職人階層の娘エヴァに恋し、偉大な作詞作曲家であり「マイスタージンガー」であるハンス・ザックスの助けを得て歌合戦に勝利、エヴァと結ばれるというストーリーです。しかしこの恋物語の中には、没落し気位だけが高い騎士階級のプライドから、当時の音楽界の複雑な規則が自由な表現を妨げていること、かつ、ベックメッツサーという保守的、反動的な批評家が、見様によってはユダヤ的にカリカチュアライズされていることなど、様々な伏線が感じられ、最後には、エヴァとは結ばれたいが、マイスター階級には入りたくない、自分は騎士だとごねるワルターに、ザックスが、このマイスター階層とその作り出した芸術伝統こそがドイツの誉れではありませんか、たとえ神聖ローマ帝国は消えても、聖なるドイツの芸術はこの世に残るのだと説き、ワルターはマイスターとしてエヴァと結ばれ、全員がドイツの芸術と栄光、その体現者としてのハンス・ザックスをたたえて終わるのでした。

ワーグナーをできるだけナチスと切り離そうと解釈すれば、この作品は平和主義の劇とすら演出できると前述の清水氏は述べています。ドイツ精神は無為徒食で戦争や決闘に明け暮れる騎士ではなく、市民にこそあり、最後に騎士ワルターは市民になることを選ぶのですから。実際、そのような演出もあるようです。しかし同時に、ナチス的に解釈すれば、これはドイツ民族精神の優位と鼓舞、ユダヤ的な市民社会・資本主義社会への批判と同時に因習に満ちた古い伝統への批判、新たなナチス革命の英雄ヒトラーとハンス・ザックスをだぶらせる解釈すら可能でしょう。さらにワーグナー作品には、もっと複雑で重要なテーマを読み取れるものもいくつもあります。「指輪」「パルジファル」などは、たぶん今年またいくつかの新論文が出るような気もします。

フルトヴェングラー指揮の戦中の演奏から

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