中村哲氏の死を誰よりも悼んでいるのはきっとアフガニスタンの人たちだ

中村哲氏の書いたものを以前読んで、この方は、すべてを分かったうえで覚悟して行動している人なんだと思った。そして、とにかく現場に行かなければだめだ、現場の人々と共に歩まねば駄目だという強い意志を貫いた人なんだと。

これは間違いかもしれないが、遠くで本や情報だけでタリバン政権を批判している人たちよりもはるかに、中村氏はタリバンの問題点はわかっていたと思うし、その人権弾圧も現場で見ていたはずだ。しかし、中村氏はそれを批判するのではなく、そのタリバン政権によって保たれている秩序もあるという現実をも直視した上で、その中で、医師として、人間として現地の人を救う道もあると信じ、その道を最後まで歩み続けた。「アフガン問題専門家」として発言したり行動したんじゃない。

私はタリバンをいかなる意味でも認めないから、中村氏の言説に賛同しているわけではない。でも、中村氏の現場での活動は、どんな偏狭なタリバン戦士の心も動かすだけの力を持っていたこともまた疑わない。

政治的には憲法9条を支持する発言もあった。でも、アフガンの現場で活動した中村氏は、憲法9条と現実が違うことくらい、すべて分かったうえで発言していたはずだ。いま日本人として、アフガンで活動する以上、そこで、いい意味で「利用」できる言説なら何でも使うつもりだったんじゃないだろうか。彼の政治的発言が本気ではなかったというんじゃない。ただ、その政治的言説が彼の偉大なアフガンでの活動とは切り離して私は考えたい。

これは雑誌「宗教問題」編集長の小川寛大氏も指摘していることだけど、中村氏が「兵隊作家」と呼ばれた火野葦平の甥だったことに、私は以前から何か引っかかるものを感じていた。でも、まああまり無理に結びつけるのも何だろうと思っていたけど、小川氏のツイッターで知ったことは、中村氏が火野葦平を顕彰する会の会報にもしばしば寄稿していたこと。これは、私が思っていた以上に、火野氏の精神と深く結ばれていたんじゃないだろうか。

ご存知のように、火野葦平は「麦と兵隊」などの「兵隊小説」が広く読まれ賞賛されたけれど、戦後は戦犯作家として批判された。しかし、火野は文学活動を1960年に自殺するまで辞めず、堂々と己の主張を貫いた。火野の兵隊小説は、戦争そのものの讃美ではなく、あくまで、戦争という「現場」を耐えた兵隊たち一人一人のドラマを描こうとしたものだ。戦前・戦中の賞賛も、戦後の非難攻撃も、いずれも何らかの権力やイデオロギーに基づいた現場の精神とはかけ離れたものにすぎない。

中村哲氏も、もしかしたらこの作家の志を、戦後の世界で引き継いだ一人だったのかもしれない。誰よりも氏の殺害を怒り悲しんでいるのは、きっとアフガニスタンの人たちのはずだ。

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