民族独立のために闘い、殺されたウィグル詩人の生涯と詩が朗読劇になりました

ウイグルの詩人で、民族の独立を求めて戦い処刑されたアブドゥルは陸の生涯とその詩を朗読劇にしたものが公開されました。チャンネル桜の「南モンゴルの風」でキャスターを務め、またアジア自由民主連帯協議会でも活躍しているフミエイツ氏他が演じています。クリックしてご覧になってみてください。以下は彼女から来たメールをそのまま紹介します。(三浦)

『ウイグルの荒ぶる魂』著者の萩田先生が朗読劇に脚本して下さり、演じました。

実在したウイグル民族のために民衆を率いて闘った英雄詩人の詩とともに彼の生涯を描いています。

長い(約40分)ので三部作でアップロードしています。日本語に、ウイグル語訳をつけたバージョンもあります。

よろしければご覧ください。

☆シェア、拡散大歓迎\(^o^)/

『ウイグルの荒ぶる魂』朗読劇

詩人の荒ぶる魂 fumieitsu

天使マラーイカ 奥村大介
劇中詩 アブドゥハリク・ウイグル
訳・脚本 萩田麗子

ウイグルの荒ぶる魂、朗読劇、第1部

ウイグルの荒ぶる魂、朗読劇、第2部

ウイグルの荒ぶる魂、朗読劇、第3部 

Uyghur, Reading Theater No.1

Uyghur, Reading Theater No.2

Uyghur, Reading Theater No.3

原作本

ウイグルの荒ぶる魂
―闘う詩人アブドゥハリク・ウイグルの生涯―
萩田 麗子(高木書房)

8月31日に高木書房から発行された「ウィグルの荒ぶる魂 闘う詩人 アブドゥハリク・ウイグルの生涯」によって、32年の短い生涯を詩と民族のために捧げた詩人、アブドゥハリクの全詩集が、萩田麗子という最良の翻訳者の手により我が国に紹介された。これは美辞麗句でも何でもない。萩田麗子氏が、2015年、日本初の翻訳書「ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」(集広舎)を刊行した人だからこそ言えることである。

 12ムカームについての詳細は同書に譲るが、「ムカーム」とはアラビア語の「旋律」に由来した言葉である。10世紀後半、イスラム教がウイグル地方に伝来していく過程にて、それまでのウイグルの固有の文化・音楽に、シルクロード全土の民謡や音楽、そしてペルシャの古典詩、イスラム神秘主義哲学などが融合しなどが融合し、音楽、歌、踊りの総合芸術として発展していったのが「ムカーム」であった。

しかし、清帝国のウイグル支配、その後の西欧諸国のアジアへの侵略、そしてその結果としての近代化の波は、従来の文化伝統のよって立つ基盤を破壊していく。アブドゥハリクは、このムカムチー伝統の崩壊過程に生き、ウイグル文化の崩壊過程に、その伝統を新しい近代化の時代に引き継ぎ発展させようとした詩人であり、同時に新たな時代の近代ウイグル文学の創設者でもあった。彼の詩は、古い熟成された伝統という革袋の中に、近代でしか生まれえない自我と社会意識という新しい酒を同時にもちこんだのである。

ウイグルにおける近代の到来

 アブドゥハリクの生家は、当時としてはもっとも『近代的』な価値観を身に着けていた。祖父で開かれた意識を持つ商人ミジドは、1887年の段階から、すでに毎年ロシアとの貿易を、物々交換の形とはいえ成功させ、外の世界に目を開いていた。同時に古典文学や詩集に親しむ教養人でもあったミジドの家では、しばしば古典詩や物語が文学愛好者の集いで朗読され、アブドゥハリクはそれを聴きながら育った。

アブドゥルハクが幼少時から最も親しんだ古典詩人は、12ムカームにも多くの詩が収録されているナワーイーだった。萩田氏の訳したナワーイーの詩の一説を紹介しておく。

「輝く太陽が 夜毎暗幕の中に入ってしまうように 夜の灯が 私の孤独な住まいに 夜毎姿を見せる あの人は夜毎 友らと共に朝日のような笑い声をあげる 私は蝋燭のように心をもやし 真珠の涙を流す 夜空の星々は 夜が太陽と離れた悲しみに 胸を焦がしてできた傷跡 私の体にも 夜毎愛の日に焼かれてきた 無数の焦げ跡が隠されている」

「夜空の星々は 夜が太陽と離れた悲しみに 胸を焦がしてできた傷跡」という一節は、まさにナワーイーのようなムカーム詩人が生み出した、己の内面をそのまま宇宙に映し出し共鳴させるような言葉である。アブドゥハリクが、このような伝統詩を深く理解していたことは疑いを得ない。

 同時にアブドゥハリクに大きな影響を与えたのは、民衆の不幸をそのまま直截的に歌い上げた詩人、モッラー・ローズィメットとの出会いだった。レンガ職人として労働に携わりながら、貧しく搾取される人々の悲劇を、ローズィメットは少年時のアブドゥハリクの目の前で謳いあげた。

「富を求めて 峠を越えて歩きまわる者がいる 借金で 家にいられず逃げ出すものがいる 金のために 命を失う者がいる (中略)これが世の中 この運命 この見世物を見よ」 

詩人とは、現実の矛盾と抑圧に苦しめられている民衆の思い、彼らの怒りや悩みを代弁して謡うべき存在であり、そのとき、民衆はその詩を通じて自らを開放することができるのだという思いを、ローズイメットの詩はアブドゥハリクに確信させた。

1922年、彼が自らのタハッスル(ある種のペンネームであるとともに、彼の詩を貫く共通のテーマを表す)を「ウイグル」と定めた。こののち、彼の詩は伝統詩の形式から次第に逸脱し、新たな表現を求めていく。「これから自分は戦いを始めるのだ」「(形式にこだわっていたら)詩の中身が弱くなってしまう」と断言するアブドゥハリクの言葉は、ウイグルにおける近代詩の始まりを意味するとともに、その生涯を決定づけた宣言でもあった。彼は古典詩の束縛を脱出するとともに、ウイグル社会におけるあらゆる旧弊と戦い、ついには最大の抑圧者と民衆とともに対決する生き方を、一人の詩人として選び取ったのだ。

楊増新の新疆支配

 当時のウイグルは、楊増新という独裁者が統治していた。楊の政治については、1928年に暗殺されるまで、「新疆」全体を平和的に統治していたとして、スェイン・ヘデインをはじめ同時代人の多くが称賛している。確かに、辛亥革命とその後のロシア革命、また外モンゴルの独立という中央アジアの激動を、諸勢力間の絶妙なバランスをとることで乗り切った楊増新の政治力は評価に値する。内政においても治安は維持され、各官僚の採用や、地域からの陳情の処理なども楊は適切に行ったとされている。しかし同時に彼の政策の基本姿勢は、近代的改革を徹底的に拒否し、「ウルムチからカシュガルにかけては、頭痛持ちの南京虫一匹たりとも、閣下の知らないものはない」と、ウルムチ教会のカトリック神父に言わせるほどの、徹底した諜報機関による管理体制が敷かれていたのだ。

しかし問題なのは、この楊の前近代的な治世方針が、同じく近代化を拒否するウイグルの有力な宗教者や既成勢力にとっても、自らの権威を守るために受け入れられていたことである。アブドゥハリクの詩に、その有様は的確に歌われている。「無知の危険を知ることもせず 我らは夏と冬を繰り返した 楊増新は将軍となって人ご利子を開始した 頭に白いターバンを巻いた イスラム教の法官とモッラーが 『命令に従うのは宗教的な義務』 と言って触れ回った」(「悪魔」)

祖父ミジドをはじめ、多くの目覚めたウイグル人たちが近代的な学校建設を試みたが、それを妨害したのは、常に地主、宗教関係者などの同じウイグル人たちであり、時には暴力的に建設を妨害するに至った。また、アブドゥハリクの才能を嫉妬するウイグル人は、楊にアブドゥハリクを讒言するような行為にまで及ぶ。彼はウイグルの現実への批判を厳しく謳いあげるようになってゆく。

「無知ゆえに いつの日か必ず 我らには苦難が訪れよう 教えてくれ 我らの今の在様の どこにどのような価値がある(中略)我らには 同胞愛はかけらもない 友人となっても実は その目的は別に有る(中略)科学の道を行く者は 飛行機で空を飛び 船で海を渡っているのに 我々にはロバもなく 歩いていくしかない(中略)技術者や学者 見識深い人々ではなくて 強欲で 迷信深いモッラーたちを 大事にすることはある」(「有る」)

 タハッスルを「ウイグル」にしたからといって、アブドゥハリクはウイグルの文化や伝統を礼賛したのではない。彼は民族の弱点、狭量さ、偏見、団結力のなさを直視し続け、時には己の弱さにも厳しい目を向ける自己否定の精神を常に忘れなかった。因習的なウイグル社会から疎外され続けたことは、逆に彼の自我を強め、その孤独感と疎外感は詩に独特の印影と内面のドラマを生み出していく。これは明らかにアブドゥハリクの近代的自我の目覚めと、それが故の苦悩の表現であった。そして、彼は古典詩の、自然に託して自らの内面を表現する伝統的手法を全く新しい詩精神の中に取り入れてゆく。「トルファンの夜」はそのもっとも成功した作品である。

「故郷の人々は 老いも若きも 桑の実が落ちるように 涙を流す いつ夜が明けて 太陽が顔を出すのか 長くて暗い トルファンの夜 いつ朝になり 黄金の光がさしてくるのか 『来ないかもしれぬ』と案じて 騒ぐな 空は少しずつ明るくなり 夜が明ける『朝は必ずやってくる トルファンの夜」(「トルファンの夜」)

1928年、楊増新が暗殺された。一時的に訪れた解放感の中で、アブドゥハリクと同志たちは、啓蒙活動のための音楽イベントを開催する。民謡のメロデイに啓蒙的な詩を載せ、歌、踊り、朗読などで学校建設や社会改革を訴えたこのイベントは、伝統様式と近代精神を結び付けようとしたアブドゥハリクの詩精神が実践活動として見事に花開いたものだった。だが、その後新疆は金樹仁という、楊よりもはるかに政治力のない、かつ残虐で自己本位的な独裁者を迎える。単なる追従者や側近だけが登用され、楊増新の時代には保たれていた秩序や権威を支配者自らが内部から崩し始めていく。

愚昧な支配者金樹仁と、蓄財や利権、豊かな土地や生産物を求めて流入してきた漢人政商や悪徳官僚からなる、むき出しの暴力的支配が実現した。そして、回教徒であるウイグル人の娘を、権力を利用して妻にしようとする漢人支配層の、ウイグルの信仰を侮辱する態度に、各地で民衆蜂起が続発したのである。1932年、アブドゥハリクを指導者の一人として、トルファンでも民衆が立ち上がった。この時歌われたアブドゥハリクの詩「咲け」は、この民衆蜂起を象徴する詩であり、決起軍の連帯の歌ともなった。

「私の花が 咲こうとしている あなたの髪を 飾ろうとしている 恋人を想う心の火が、私の体を、包み込もうとしている(中略)情熱の花よ 咲け 勇気の道よ 開け 恋人のため 命を捧げよ どうせいつかは 死ぬ身」(「咲け」)

 決起軍は初戦では勝利するが、やはり組織化に乏しく武器も不足しており、次第に追い詰められて敗北していく。しかしこの戦いを、アブドゥハリクはその詩で、決起した民衆の姿を、伝説的な英雄や神話的世界の戦士たちのように謡いあげた。戦いは敗れたが、決起軍の精神と意志は、彼の詩によって永久にウイグルの大地に刻み込まれたのだ。

アブドゥハリクは、ある裏切り者のウイグル人の密告で、新たな新疆の支配者、盛世才の軍隊に捕らえられ処刑された。しかし、獄中にて詩人は、彼の絶唱というべき詩をいくつも残している。

「何も考えぬことが特技となり 侮辱されることさえ面白がる者がいる いつの世もこんな人々を 『運命』は可愛がる ものを考えぬ人間は権力を求め 平穏な世の中を汚し続ける 額に汗して働く善人が報われず 人の稼ぎを当てにする者が儲かるとは(中略)私は言った 『不正を働く者の前で 正義を行うものが何で跪かねばならぬ』 無知のまま日々を過ごし いつまでも首うなだれているな」(時代の痛み)

 牢獄の闇は、かって詩人が孤独感をかみしめた「トルファンの夜」のようにアブドゥハリクを押し包んでいる。しかし、彼は詩人として叫ぶのをやめない。そこに満ちている詩精神は、ウイグルへの誇りとともにその欠点への怒り、漢人支配層をはじめとする権力に屈しない自由な精神、そして生死を超越した戦いへの意志である。

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