中国の文化大革命を批判した三島、石川、安部の発言(1967年の座談会から)

1967年、三島由紀夫、安部公房、石川淳、川端康成が、中国の文化大革命に関し、政治革命の論理で文学が弾圧されることに抗議した声明を出しました。その時の4人の座談会(中央公論1967年7月号「われわれはなぜ声明を出したか」から、三島氏の言葉を中心に紹介します。

三島「僕の気持ちをざっくばらんに言ってしまうと、僕の場合は敵は本能寺にありで日本のことを言っている。二つあるんです。一つは、僕が否応なしに中国問題というものに捕らわれたのは、文学座なんかにいたからですね。中国に行ったりする俳優がいてね、中国を天国のように言う、そしてそれを人に強制する。」

「その人は現実に何を通じて中国を知ったかというと、自分たちを接待してくれた人、そして案内してくれた人を通じてなんですね。それがこういう状態になると、自分が世話になった文化関係の人がひどい目にあっても今度は知らん顔。私の方は毛派だからという顔をする。それが腹が立ってたまらないということがあるわけです。」

「今一つの問題は、この5,6年、それを考えてきたんですが、もしもう一度戦争中の言論統制の時代がきたらどうするかということなんです。いろいろ複雑なファクターがある中で毅然とした態度を取るにはどうしたらいいだろうかということなんです。」

「僕は今文章を売って飯を食っている人間だから、文章を売らなきゃ飯が食えない。その人間がそういう事態にどう対処するかということですね。やっぱり文学はお国の役に立たないということをはっきりさせておかなきゃ非常に危険だと思うんです。この僕の中にわだかまっていることがこういう形(声明)で爆発したということですね。」

石川淳「いうまでもなく、学問芸術の自律性を守るということは、当たり前のことなんでね。しかし、そういう当たり前のことを、言わなくちゃならないというのは不幸ですね。」

石川「僕なんかよりもっと中国問題について専門家らしき人いるじゃないですか。その連中がなぜ黙っているかわからないですね。それじゃ(日本で)逆に右翼のクーデターが来そうだというと、やはり黙っているんじゃないか。あるいは黙っているだけじゃなくて、戦時中の実例として向こうにくっついて行った下っ端文士がいますね。そいつらと同じじゃないかと思いますね。左翼の諸君も含めて。」

安部公房「僕の一番気に食わないのは、裁判抜きだという事なんだ。裁判抜きということと、文化弾圧という事とは共通するんだ。つまり僕はやはりデモクラシーを支持するね。裁判なしの処刑は、どんなことがあっても拒否しなくちゃいけないし、攻撃しなくちゃいけないと思うんだ。」

安部「例えば、俺が左翼だ、或いはあいつが左翼だ、あいつは右翼だ、というような主観的な言葉の問題ではなく、その本質が、デモクラートの発想であるのか、あるいファシストの発想であるのかという発想の内容が重要なんで、そこを問わずに出てきた結果だけを問うという薄っぺらさね、それは自分で自分の墓穴を掘っていくことだと思うんだ。」

三島の「文学はお国の役に立たない」、つまりいかなる政治的価値観とも文学は異なる立場に立つ自立したものなのだという意志、そして安部公房の「デモクラシー」にこだわる言葉などを今の視点で読み返してみますと、この人たちが主観的には否定しようと、ある意味「戦後精神の最良の面」を体現していたことがわかります。

今あまりこの声明は議論に上りませんが、60年代の貴重な資料として挙げておきます

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