追悼 佐々淳行氏 若き日の素晴らしい論文「私はブタペストの警官にはなりたくない」を紹介します

佐々淳行氏が亡くなられました。私が皆さんにぜひ読んでほしい著作は「危機の政治学」(文春文庫)で、特にそこに収められた「私はブタペストの警官にはなりたくない」という、ハンガリー民衆決起とその弾圧直後に書かれた文章です。

1956年。ハンガリーの民主化を求めて学生、市民、労働者が決起。民衆に人気のあったナジ政権が誕生しましたが、ソ連軍は武力でこれを鎮圧しました。この民衆決起とその弾圧(今でも「ハンガリー動乱」と呼ばれていますが、私は個人的立場として「ハンガリー決起」と呼ぶことにしています)は、今でこそ東欧民主化の先駆者として評価されていますが、当時の日本共産党宮本委員長はこのように言っていました。

「(ソ連の弾圧は)大局的には平和と人道に奉仕するためという自覚でやっていると思うのです。シュピーロフ演説を見ますと、何世紀か後に、人類は我々の役割を正当に評価するであろうと・・・」シュピーロフはソ連外相、国連で「ソヴィエト軍将校は全世界に英雄的行為を示しただけでなく、立派な道徳的規律を示した。何世紀か後には、人類は感謝をもってこのソヴィエト軍の功績に名誉と栄光を捧げるだろう」」と演説していました。

当時の若き佐々氏は、ハンガリー民衆の決起と民主化への要求を正当なものとして評価するとともに、この「未来の共産主義の理想実現ためには今の時点での弾圧や独裁は肯定される」という論理を真っ向から否定して次のように書きました。

「私が望むのは、今生きている、より多くの人々の平和と幸福である。数世紀後の人類にどう思われようとかまわない。私は、圧政と貧困に耐えられなくなって、政府に改革を求めた民衆に向かって発砲せざるを得なかった、悲劇的なブタペストの『進歩的警察官』にはなりたくない」(私はブタペストの警官にはなりたくない)

この最後のくだりは、共産党独裁を支えていたハンガリーの秘密警察が民衆の呪詛の的となっていたこと、彼らが民主化を求める民衆に対し当初から攻撃を加えたこと、しかし、そのような共産主義国を「進歩的な国」とみなし、同時に共産主義国では軍隊も警察も民衆に銃を向けることなどない、民主警察である、と宣伝していた知識人への批判です。

佐々氏の父親は、戦前、リベラリストとして軍部に大学を追放になった人でした。その息子である佐々氏が警察を選んだのは「現実を蔑視して、批判ばかりしているが、その現実の日本をよくするために自分をかけて実践しない知識人の姿」への嫌悪感であり、かって父が信じた自由と民主主義は、不十分ではあっても、戦後日本の原点になっていると判断したことでした。

「かって権力の敵だった自由主義と民主主義は、現在、権力そのものの基本理念となっている。そして現在の警察は水の流れをせきとめる堰ではなく、氾濫を防ぐ堤防なのである。したがって、私達警察官の任務とは、デモクラシー・ルールによって生み出される法秩序を守ることによって、流血の惨事を必然的に伴う急激な改革から国民の生命や財産を守り、デモクラシーの自己浄化作用による改良の可能性を保証することにある。」

「日本警察の良い点を一つ挙げてみよう。それは、警察を批判する自由を政府が認めていることである。(中略)権力の象徴である警察を、国民がどの程度批判できるかということは、その国の実質的自由の、或いは民主化のバロメーターだといえよう。私は、警察を自由に批判できる社会は、警察にとってはいつも悪口を言われるうるさい社会だが、それは健やかで自由な社会だと信じている。」(同)

佐々氏を危機管理の専門家として評価する声が追悼文には溢れていますが、私にとって佐々氏は、何よりも、1957年の段階で、このような文章を堂々と描いた知識人として偉大な人だったと思っています。この論文には左派からの大批判と共に、全国の警察官から激励と感動を伝える手紙が寄せられたようですが、何世紀も待たずとも、当時の共産党やソ連の発言と佐々氏の論文のどちらが正しかったかは、もう歴史が明らかにしたことと思います

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