トンデモ本紹介 「明日に向かって 日本人の見た素顔の朝鮮と金日成」(彩流社 1987年)でも今でも近い人はいる

「明日に向かって 日本人のみた素顔の朝鮮と金日成」(朴日粉編集 彩流社)という本を注文していて先日届きました。1987年4月に発行されたもので、大韓航空機事件はこの年の11月29日ですので、約8か月前に出たものです。資料として持っておこうと思って購入し、皆さんにも紹介しようかと考えましたが、一読、あまりにも無残ですので、ごく簡単なエッセンスだけを数人記すことにとどめます。87年の段階でまだこういう本が出ていたことも、やはり忘れてはならないことでしょうから。

西川潤「1975年に北朝鮮を訪れた時の第一印象は、「これは、発展途上国ではない。東欧のような社会主義国だ」ということです。中国を経由して行ったのだが、中国と比べても生活水準ははるかに高い。一人当たりの所得にしてもおそらく5,6倍は違うだろうと思いました。農村に行っても、どこも非常に清潔で、発達している。都市生活の快適さというものが、農村にもそのままあるわけです。途上国をずいぶん見てきた目には、それは非常な驚きでした。」「経済がやはり非常に発達し(中略)国内の資源を活用して、自力で、主体的に経済を発達させてきた。」(当時早稲田大学教授。いまは琉球独立運動にも賛同しておられます。この人の弟子筋が沖縄独立論の松島奏勝氏)

美濃部亮吉「金日成主席の賢明な指導の下に社会主義・共産主義に徹した教育を受ける子供たちの将来は何とも頼もしい」「アジアの情勢を見た時に、南朝鮮、タイなどファシズムの嵐が吹き荒れている。日本もファッショ化の道に突き進んでいるように思われる。こうした状況にあって金日成主席の率いる朝鮮民主主義人民共和国に対する期待は大きいものがある。共和国はファシズムに対抗して民主主義を守り抜く中心勢力として活躍してもらいたい」(元都知事。このインタビューは1980年のものを収録したそうです)

藤松正憲「朝鮮の一人当たりの国民所得は1974年に1千ドル、79年には1920ドルとほぼ二倍に増えている。しかし実際に国内を歩いてみると所得はそれ以上だと確信した。服装もきれいで生活も安定している。(中略)朝鮮は経済の成長率、年間12~15パーセント水準を維持している。日本でさえ4パーセント(中略)朝鮮のような素晴らしい経済成長を遂げている国と仲良くやっていくことは日本にとっても決してマイナスではない。」(足利銀行相談役。この銀行は北への送金問題でも知られる)

宇都宮徳馬「(朴正煕大統領夫人が文世光によって射殺された事件について)大体そのような人間のまぎれこめない警戒厳重の会場で起こった事件ですが,それにもかかわらず北朝鮮系の仕業とのデマが流され(中略)金大中事件、朴正煕夫人の暗殺、朴正煕の暗殺、全斗煥のクーデター、光州事件などはすべて奇怪で意味不明であり、一貫した仕掛人がいるのではないかと私は最近思っており、私などもいつ死体になるのかわからないと思っています。」

「北の脅威などと言って戦争をあおり、戦術核兵器など並べている国があるとすれば、それは少なくとも正気の国とは言えません。」(当時参議院議員)

武者小路公秀「経済建設では(中略)目覚ましい発展を遂げているようだった。最も印象深かったのは(中略)大自然改造事業への取り組みだった。これは水問題の解決、干拓事業の推進、運輸の近代化などを総合的に促進していく大プロジェクトである。これがチェチェ思想により自力更生路線のもとに進められていることに圧倒された。私は国連大学では平和と発展の問題を担当している。(中略)今後、共和国の社会主義建設の大実験について、国連大学という場で、第3世界の人たちと話し合うことができれば非常にプラスになると思う。」(国連大学副学長だけではなくアムネスティ日本にもかかわってきた。いまの日本アムネスティは北の人権問題に対し一定の発言をしていますが、彼の影響が強かった時代はほとんどそのような姿勢は見られなかったはず)

小田実「人類の進歩が封建制から資本主義、資本主義から社会主義、社会主義から共産主義に移行すると仮定するなら、私は共和国が一番先進国だと思った。(中略)例えば、税金がない。11年間の義務教育が無料、医療費もただ、工業も自前で、何でも作る(中略)農業も自給自足する。こういった国はない。ものすごい先進国だ。(中略)この国は、人間にとって無理のない進歩をしつつある。」

「あるおばあちゃんは、韓国の民主化闘争にメッセージを伝えてくれと言った。『朴正煕はけしからん、あれはけだものだ、』とも言っていた」(作家、平和活動家。このインタビューは1976年、北朝鮮を訪問した直後のもの)

人間、間違えることは確かにある。しかし、今読むと目を覆うものがある。これもある種の歴史的資料かもしれないけれど…ただこの本の後半部にはちょっと興味深い資料がありました、満州在住の日本人で、戦後中国軍の捕虜になった人の「証言」。これが全部金日成神話(パルチザンの英雄)そのものを語っている。ここだけは貴重な資料で、「洗脳」の恐ろしさの記録として読んでみようと思いました。

以上がフェースブックに書いた文章ですが、これはもう古い、昔のことで、今北に対してこんなことを書く人はいない、とおっしゃる方も多いと思います。

しかし、以下のような文章、ほとんど私としては上記のものと変わらない気がしますよ。

【シールズ琉球-これまで/これから-】(下)基地強化 新時代に逆行 訪朝体験 平和構築のヒントに

(前略)沖縄の歴史と日本帝国主義の歴史を見ているなかで、私はどうしても立ち止まらなければならなかった。それは朝鮮の存在である。
 日本帝国主義によって1国が滅ぼされ、同一民族の分断や在日コリアンに対する差別など、日本帝国主義の問題が現存するという共通点に気が付いた。特に「北朝鮮」は中国と並んで日本と敵対関係にあり、在日米軍基地が正当化される要因の一つになっている。いつしか「北朝鮮」の人々と対話がしたいと思うようになり、昨年8月、実際に「北朝鮮」に行くことができた。

 この訪朝は、東アジアの子どもたちが絵を通して交流する「南北コリアと日本のともだち展」(日本国際ボランティアセンターなどの人道支援を行うNGO団体の主催)の事業の一環で、平壌外国語大学日本語学科の学生と日本側の学生が交流を行うというものだった。

 沖縄が日本の南西に位置し、米軍基地があるという程度は平壌の学生も知っているようだったが、ひめゆり学徒を知っている学生や、琉球方言に関心を持つ学生もいたことには驚いた。私の渡航の目的は、平壌の学生に沖縄の歴史や現状を少しでも伝えること、また、「北朝鮮」から日本がどう映って見えるのか、すなわち日本の脅威をどのように認識しているのか、日本が敗戦を機に変わったと思うかを聞くことであった。

 軍事境界線上にある板門店を訪れた時のことが非常に印象に残っている。そこはまさに、米軍の脅威によって民族の分断が保持される場だった。平壌の学生通訳2人も特別に板門店に入ることが許され、私たちと同行した。板門店の中には南北の軍事境界線が走っている。その屋内で通訳の学生が、目には見えない境界線をまたぎ、初めて「南」側に足を踏み入れて涙ぐんでいるのを見た。日本が米軍基地を置くことで、戦争に加担している現状を初めて目の当たりにした。

 さらに私は板門店で人民軍兵士と話す機会を得た。「日本は戦後、日本国憲法の下で平和国家として再出発をした。敗戦を機に日本は変わったか」という私の問いに対し、兵士は、「オオカミが草を食べるようになったからといって、牙や毛皮が生え変わり、羊になることができようか」と答えた。

 日本は「朝鮮民主主義人民共和国」を国家として認めておらず、その理由から帝国主義の過ちを謝罪していない。そればかりか、朝鮮戦争をはじめ、戦後も米国の戦争を支援する形で積極的に戦争に関わってきた。兵士の言葉はもっともだと思った。兵士に感謝の意を伝えると、「私たちは平和を愛する者同士です。そんな私たちが敵対関係にある理由がありません」といい、手を差し出してくれた。私たちは最後に固い握手を交わして別れた。

 今回の訪朝を通して感じたのは、この人民軍兵士が決して「特別」ではないということだ。平壌の学生の1人は、「私たちは新しい世代だ」といった。「新しい世代」による「新しい時代」を、私たちが創っていかなければならないと思った。加害者の立場である日本が、過去の禍根を清算する責任を果たさなければならないし、私たち市民は政府に対してそれを求め続ける必要がある。

 去る12月、安倍晋三首相は慰霊のために真珠湾を訪れた。安倍首相は、「世界の惨禍は、いまだに世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は無くなろうとしない。寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ必要としています」と所感を表明した。その必要性を認識しているなら、安倍首相は真っ先にアジア地域において慰霊・謝罪の訪問をしなくてはならない。東アジアにおいては「憎悪が憎悪を招く連鎖」の源流が日本にある。「和解の力」は東アジアでこそ、その力をより強く発揮すると私は考えている。

 憎悪の源となっている一つが、ここ沖縄に存在する。朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争など、米国の戦争の前線基地として在沖米軍基地がその機能を担った。女性や子どもなど、一般市民をも殺りくした爆撃機が、沖縄から飛び立ったのである。

 「新しい時代」を築いていくために、沖縄は「悪魔の島」をやめる必要がある。しかしながら政府が負担軽減の名目で推し進める辺野古新基地や高江ヘリパッドの建設は、むしろ基地機能の強化でしかなく、私たち「新しい世代」の「新しい時代」に逆行するものであり、断固として許すことはできない。

 これまで私がシールズ琉球として取り組んできたのは、侵害され続けた沖縄の人権を守るためであり、いわば「自分」のための活動であった。しかし訪朝以降、日本の一地域としての沖縄ではなく、東アジアの中の沖縄として、いかに東アジアの平和に関わるかという積極的な視点を得ることができた。

 軍事力ばかりを頼りにする東アジアの秩序は「新しい時代」にそぐわない。新秩序の形成に、沖縄だからこそ担える役割があるはずである。

 訪朝最終日、平壌の学生から「米軍基地のない美しい沖縄で幸せに暮らす、あなたの未来の生活を望みます。あなたは沖縄で、私は朝鮮で平和の世界のために頑張っていきましょう」とメッセージを受け取った。沖縄の権利獲得の闘争に「新しい時代」を築き上げようとする動きが加わり、沖縄はより一層強くなるに違いない。「新しい世代」のうねりはまだ日の目を見たばかりである。(2017年3月17日付沖縄タイムス文化面から転載)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/89455
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